2024.6 KENDOJIDAI
構成=寺岡智之
撮影=笹井タカマサ
「〝三昧〟の精神こそ剣道上達への近道だと思いますし、私もそうありたいと思います」。愛知の山﨑尚範士はそう語る。日本一の父にはじまり、国士舘、愛知県警と剣道を学んできた山﨑範士は、剣道修行のあり方についてどのような考えを持っているのか。これまで歩んできた道程を振り返りつつお話しいただいた―。
山﨑尚範士八段
やまざき・まさる/昭和32年生まれ。新潟県出身。尚武館で父・正平のもと剣道をはじめる。国士舘高校から国士舘大学に進学し、卒業後は愛知県警に奉職。全日本選手権や全国警察大会等で活躍し、国体では2度の優勝を手にする。平成18年八段合格、令和4年範士号受称。現在は愛知工業大学師範、海陽学園中等教育学校非常勤講師等を務める
努力は人に見えないところでするもの
父の背中に見た剣道への姿勢
剣道修行というものは、各年代においてその時々の目標というものがあると思います。私も父・山﨑正平にいざなわれるようにして剣の道に入り、もう余年が過ぎましたが、決して正しい道を一直線に進んできたわけではありません。紆余曲折も後々考えればよい糧であり、修行の一つだと考えて、目の前の目標達成に集中することが大事かと思います。
私のこれまでの修行過程を振り返ってみれば、剣道をはじめた幼少期はやはり父の影響を強く受けていたと思います。いわゆる剣道一家で、何においても剣道が一番でした。「学校を休んでも剣道は休むな」「風邪なんて剣道をすれば治る」。昔風に言うならばスパルタで剣道を仕込まれました。ただ、父から剣道の技術的な指導を受けた記憶はあまりありません。当時は指導者が細かく技術を伝えるような時代ではありませんでした。打ち込みとかかり稽古を中心とした稽古で、泣きながら先生方に掛かっていったことを思い出します。
父は45歳で全日本選手権に優勝しましたが、家で素振りやトレーニングをしているような姿は一切見たことがありませんでした。市役所勤務で専門家ではなかったので、稽古は勤務を終えてから地元の道場でやる我々と程度。そんな父がなぜ日本一になれたのかと言えば、やはり剣道に対する〝姿勢〟が大きな理由であったと思います。家では剣道姿を見たことがありませんでしたが、実際は見えないところで努力をしていたのだと思います。そして、父は土日になると防具を担ぎ、県内のみならず東京などにも出て修行をしていました。剣道に対する想いは凄まじく、私も父のようにありたいと思っています。
そんな父の背中を見ながら幼少期を過ごしてきたわけですが、高校からは父の勧めで東京の国士舘に進むことになりました。新潟にいるときはとにかく基本を修練する毎日でしたが、国士舘では試合に勝つことを強く考えるようになりました。どうやったら相手に隙がつくれるのか、こんな技なら相手を打てるんじゃないか、そんなことを考え取り組む時間が増えたと思います。昨今は剣道の取り組み方について、勝ちを求めすぎるのはよくないといった風潮があるようです。しかし、私はそういう時代があってもいいと思いますし、そのときの経験は後々の剣道に良い影響を与えてくれると考えています。先ほど、父の剣道に対する〝姿勢〟についてお話ししましたが、勝利を求めて貪欲に稽古に取り組むのも一つの姿勢でしょう。とくに学生時代は、勝利こそ剣道向上の大きな糧ですから、一生懸命自分で考えて、稽古し、試合の場で発揮してもらいたいと考えています。
「正しい剣道をしなさい」
大野操一郎の言葉が心に響いた
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