インタビュー

念ずれば花ひらく(内村良一)

2025年1月13日

KENDOJIDAI 2021.2

インタビュー=寺岡智之

内村良一

うちむら・りょういち/昭和55年生まれ、熊本県出身。九州学院高校から明治大学に進み、卒業後、警視庁に奉職する。主な戦績として、全日本選手権優勝3回(2位5回、3位1回)、世界選手権大会団体優勝、全国警察大会個人・団体優勝、全日本選抜七段選手権大会2位1回、3位1回などがある。36歳のときに特練を引退し、指導者の道へ。現在は警視庁剣道教師として後進の指導にあたりながら、現役選手としても全日本選手権への挑戦を続けている。剣道教士七段

幼少期に描いた大きな夢
進んで厳しい環境に身を置いた

ー最初に〝日本一〟を目指そうと決めたときのことを覚えていますか。

実は小学校の卒業文集の『将来の夢』の欄に〝全日本選手権優勝〟と書いたんです。西川清紀先生や石田利也先生、宮崎正裕先生が活躍される全日本選手権をテレビで観ていて、いつかは自分もあの舞台に立ってみたいと思いました。クラーク博士の〝少年よ、大志を抱け〟ではないですけども、たぶん誰もが、そんなの実現できるわけないと思ったはずです。でも私は、そのとき本気で全日本選手権で優勝したいと思っていました。

ー内村選手が九州学院中学校に進んだとき、米田敏郎監督に「日本一になれますか?」と聞いたのは有名な話です。

九州学院に進学したのも、夢である日本一を実現させるための選択でした。米田先生は私の問いかけに対して「日本一になれる」と答えて下さいました。今振り返れば、このときの米田先生の覚悟と責任感は相当なものだったと思います。そして先生は、その言葉通りに私を全中でもインターハイでも優勝に導いて下さいました。この中高校時代の経験が、私に努力をすれば夢は叶うということを成功体験として理解させてくれたと思っています。

ー高校時代までは世代の先頭を走ってきたわけですが、明治大学では日本一になることが叶いませんでした。

稽古は一生懸命やっていたのですが、思うような結果が出せず、大学時代は悔しい思い出の方が多いです。ですが、この悔しさがあったからこそ、もっと剣道を求めていきたいと思いましたし、警視庁に進む決め手にもなりました。

ー生涯の師と仰ぐことになる森島健男範士との出会いも大学時代でした。警視庁に進んだのは森島先生の勧めもあったのでしょうか。

いえ、実は森島先生からは一度も警視庁に行けと言われたことはありません。私の憶測ですが、人から勧められて道を決めるようでは警視庁ではやっていけないと、先生は思ってらっしゃったのではないでしょうか。

ー日本一を目指すにあたって、なぜ警視庁だったのでしょうか。

在学中から警視庁の朝稽古に参加させていただいていましたし、日本一を目指すなら日本一厳しい環境に身を置く必要があると思っていました。大学時代に挫折も経験して、警視庁の環境に自分が耐えられるか不安もありましたが、小さなころから描いてきた夢を叶えるためにも、チャレンジしてみようという気持ちでした。

ー警視庁に入って、さらに日本一を意識するようになった。

そうですね。この道と決めたからには目指さなければいけない目標だと思っていましたし、すでに全日本選手権の舞台で活躍されている先生方も大勢おられたので、自然と強く意識するようになっていきました。

はじめて立った憧れの舞台
先生の背中に感じた1位と2位の差



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