岩立三郎:松風館奥伝

岩立三郎 剣道レッスン:松風館奥伝8、現代の師弟の考え方

2020年3月2日

稽古は古きを学ぶこと
師に学ぶ姿勢を持ち続けることが大切だ

プロフィール
岩立三郎(いわたて・さぶろう)/昭和14年千葉県生まれ。千葉県成田高校を卒業後、千葉県警察に奉職する。剣道特練員を退いた後は、関東管区警察学校教官、千葉県警察剣道師範などを歴任。昭和53年から剣道場「松風館」にて剣道指導をはじめ、現在も岩立範士の指導を請うべく、日本はもとより海外からも多数の剣士が集まっている。
現在、松風館道場館長、尚美学園大学剣道部師範、全日本剣道連盟審議員、全日本剣道道場連盟副会長、全日本高齢剣友会会長。剣道範士八段。

剣道向上に不可欠
何歳、何段になっても師を持つこと

剣道は練習とはいわず、稽古と言います。稽古は「古を稽る」という意味であり、先人たちが残してきたことを学ぶことです。

柳生新陰流の教えに「三磨の位」がありますが、修行の段階を「習」「工」「錬」と三つに分けています。「習」は正師について習う。「工」は工夫、疑う。そして「錬」は錬磨ですので稽古です。この三つのくり返しで自分を高めていくのです。

現代剣道では流派というものがなくなり、だれでもオープンに剣道が学べるようになりました。もちろん、私も戦後から剣道を始めた一人ですので、高校時代、特練員時代など年齢を重ねるごとに様々な先生にご指導をいただきながら今日を迎えてきました。

ここ最近、「三磨の位」でもっとも気になるのは「習」です。みんさん「工」「錬」はそれぞれ重ねていると思いますが、果たして「習」ということに関してはいかがでしょうか。

剣道は竹刀を媒介として攻め合い、隙を求めて打ち合うものです。そこには理合があります。この理合は師匠に稽古を見てもらいながら修正していくものです。この「見てもらう」ということが現代剣道では圧倒的に少なくなっているように感じています。

とくに社会人になると稽古をつけてもらう機会があっても、具体的な指摘、アドバイスをもらえる機会は格段に減ります。しかし、無くて七癖です。自分ではよいと思って稽古を重ねていても必ず歪みが生じるのが剣道です。意識的にアドバイスを受ける機会を積極的につくる必要があると思います。

松風館には外来の修行者をふくめ、たくさんの方々が稽古に来られます。はじめて稽古に来られた方とは必ず稽古をするようにしています。稽古をしないことにはアドバイスのしようがないからです。

私が千葉県警察学校の助教時代、馬渕好吉先生から「岩立、これを読んでみろ」と一通の手紙を渡されたことがあります。目を通すと剣道に関する質問が書いてあったのですが、馬渕先生はこの送り主と稽古をしたこともなければ、言葉を交わしたこともなかったそうです。馬渕先生は「稽古をしたこともない人には教えられないよ」と笑っていらっしゃいましたが、まったくその通りだと思います。剣道は実際に稽古をしないことには教えることはできません。

最近、高校三年間で一度も剣道部の指導者と稽古をせずに卒業してしまう高校生がいます。剣道未経験者ではなく、剣道経験者です。複数の生徒をいっせいに見るとき、指導者が面を着けてしまうと目が行き届かなくなります。しかし、剣道には師弟同行という言葉があるように面をつけ、竹刀を交えることでしか教えることができないことがたくさんあります。私も大学生の指導に携わっています。部員数も少なくはありませんが、必ず稽古をするようにしています。

話はややそれてしまいましたが、剣道を学ぶ者は師匠を持つことが大事です。小川忠太郎先生は「三年かけても師匠をえらべ」と教えたそうですが、大成する人は良い人についています。全日本剣道選手権大会で活躍している選手は自分の努力はもちろんですが、必ずよい指導者について剣道を学んでいます。

また、一般愛好者でも昇段がはやい人は師匠について剣道を真剣に学んでいることが多いです。とくに六段、七段、まして八段となれば我流ではなかなかうまくいきません。いくつになっても師匠を持ち、剣道を学ぶ姿勢を忘れず、稽古を積み重ねることが上達につながると思います。



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