ヨーロッパ

オランダ武道家ルイ・ヨランダの武道観

2020年4月15日
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この記事は、アムステルダム無聲堂師範ルイ・ヴィタリス 先生に寄稿していただきました。ルイ・ヴィタリス 先生はヨーロッパで数々の戦績を残し、世界剣道選手権大会でも審判を務められてきました。ルイ・ヴィタリス先生と、パートナーであるヨランダ先生の武道観についてです。

プロフィール

ルイ・ヴィタリス 60歳
剣道教士七段、居合道教士七段、杖道教士七段。現在、アムステルダム無聲堂師範。
1976年オランダのアムステルダムで剣道と居合道を始める。1977年、東京で恵土孝吉先生の指導を受け、現在に至るまで恵土孝吉先生、飯島章先生から指導を受ける。1999年から2002年まで日本通運剣道部に所属。1983年から現在まで、居合道・杖道において石堂先生に師事。ヨーロッパと日本で指導を受ける。
これまでに1980年、1981年オランダ剣道大会優勝、1990年飯島杯剣道大会優勝、1979年世界剣道選手権大会、1983年、1984年ヨーロッパ剣道選手権大会に出場、敢闘賞に入賞などの成績を残す。1991年トロント大会から2015年東京大会までの間、世界剣道選手権大会決勝戦の審判を多数担当。
1984年から1986年までの間、杖道大会の各部門で優勝。欧州居合道・杖道選手権大会の決勝戦審判員を務める。

ヨランダ・デッカー 61歳
剣道 錬士六段、居合道四段、杖道五段。
1979年にアムステルダムで剣道と居合道を始める。1981年、金沢大学にて恵土孝吉先生に師事。2010年まで恵土孝吉先生、飯島章先生の指導を受ける。1999年から2002年まで日本通運剣道部に所属。
1983年から2010年まで居合道、杖道において石堂先生に師事。2010年、脳梗塞のため武道の稽古を中断。
金、銀、銅、敢闘賞30個以上のメダルを獲得。1989年、初の欧州女子公式剣道チャンピオンに。世界剣道選手権大会で2度のベスト8と敢闘賞。日本の剣道大会(茨城家庭婦人大会、川崎剣道大会)でもメダルを獲得。

はじめに

45年間剣道、居合道、杖道を続けて参りました。 夫婦として一緒にやりましたが、10年前にヨランダは脳梗塞のため武道の稽古が出来なくなりました。彼女は大会や講習会に出来るだけ顔を出し続けています。私たちの武道に関する考えを簡単にまとめてみました。

武道家として重要な事  

第一に、自分の恩師に対する感謝と尊敬の念を抱くことが重要と捉えています。ルイとヨランダの場合、恵土先生(剣道、杖道)、飯島先生(剣道)、石堂先生(居合道、杖道)が長年の恩師であり、先生達のお陰で試合の良い成績、昇段審査での合格が可能になりました。

第二に、 後継者を作ることが大事です。折角優秀な恩師から沢山習ったのに、自分だけが大会に優勝したり、高い段に合格したりしても、後継者がいなかったら武道の将来はないはずです。幸いに、三道とも、ルイの弟子が欧州大会の優勝者になったり、八段、七段の高段者になったりしてくれています。

第三に、武道を続けて取得しましたものは、武道を精一杯やることによって、強い体と強い精神を作ることが出来たことです。大きい病気を経験すると、武道で習った「精神力」は非常に役に立っています。道場での稽古と大会の試合の時だけでは無く、日常生活にも武道で得た物は有用なものになります。 また、 武道をやることによって、国境を超えて武道関係の友人との楽しい付き合いが可能になりました。武道を修練することにより、集中力と精神力が高まって行くのでどの仕事しても有用なものになります。ルイの場合、武道のお陰で大きい日系企業(日通)に勤務して欧州部長まで成長した訳です。更に武道をやることによって、礼儀と尊敬が自然に身に着くので、武道以外の人との接触に於いても楽しい、意義のある人間関係の構築が可能でした。

第四に、武道家としての「モットー」です。茨城県水戸市にある弘道館の中に、「芸に遊ぶ」という看板があります。色々深い意味はありますが、武道を長年継続することが出来たのは、苦しい稽古を楽しみに代えたからです。

茨城県水戸市の弘道館内にある「芸に遊ぶ」という看板の下で

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