KENDOJIDAI 2021.6
大会の延期、男女同時開催、無観客試合。異例ずくめの大会を制して日本一に輝いたのは、20歳の新鋭・諸岡温子選手だった。「応援してくれるみんなのためにがんばろう」。コロナ禍で思うような稽古環境が整わず、大会直前まで不調だったという諸岡選手が頂点を極めるまでの軌跡を、本人の言葉と周囲の証言からたどる―。
諸岡温子(もろおか・あつこ)
平成13年生まれ、福岡県出身。小学校2年時に福岡十生館で剣道をはじめる。九州学院中学校から中村学園女子高校に進学し、チームのポイントゲッターとして全国選抜、玉竜旗、インターハイの3冠を達成。高校卒業後は中央大学に進み、現在3年生。剣道三段
「日本一になりました、いかがですか?」
アナウンサーがよろこびの言葉を引き出そうと質問を向ける。
「えっと……、実感が湧きません」
マイクの前でたどたどしく本音を語った新女王は、言い終えると少しはにかんだような笑顔を見せた。自分がそこに立っていることが信じられない、そんな気持ちが表情に表われていた。
初出場初優勝。
20歳のニューヒロインはたしかにこの日、頂点に立った。
転がり込んだ挑戦権
大会1週間前の苦悩
年の瀬も押し迫った12月下旬。諸岡温子選手は新型コロナウイルスの影響により延期となっていた、第59回全日本女子剣道選手権大会の東京都予選会に出場していた。全日本女子選手権の予選に出場するのはこれが2回目。初挑戦は中村学園女子高校3年生のときで、上位に上がることができずあえなく敗退を喫していた。
「小さいころから全日本女子選手権に出場するのが夢でした。中学生のときに『自分もいつかあの舞台に立って優勝する!』って、お母さんや米田敏郎先生(九州学院中学校・高校監督)にいつも言っていました」
予選会は警察官が出場辞退をしていたこともあり、実業団、教員、そして学生に大きなチャンスが訪れていた。実力拮抗のトーナメントを駆け上がってきたのは諸岡選手。思い切りの良い面技を武器に、出場権獲得を狙うライバルたちを振り払って優勝を決めた。
「チャンスをいただけたのかなって思います。これまで個人タイトルもないし、大学に入ってからも思うような結果を残せていなかったので。本当は予選も出られなかったんですけど、繰り上がりで出場させていただけることになって、運も良かったのかな」
東京都の学生大会でベスト8に入ると予選会の出場権を得られるが、諸岡選手はベスト
16で敗退。上位の選手から欠員が出たことによる出場であり、たしかに本人の言うとおり運の要素も多分にあったことになる。しかし、予選で見せた勢いは優勝してしかるべきものであったし、本戦での活躍も期待させるものだった。
本戦の1週間前、中央大学では久しぶりの試合稽古が組まれていた。諸岡選手は女子4人との対戦が予定されており、2人目を終えて2試合とも敗退。北原修監督は諸岡選手を廊下に呼んで声をかけた。
「今日負ける分には全然良い。まだ1週間あるんだから、今がどん底だと思って上げていこう」
その言葉を聞いて、諸岡選手は目に涙をためながら悔しさを押し殺した。その後の2試合も負け、この日4戦全敗。大事な大会を前にして不安を隠すことができなかったのか、その日の夜、諸岡選手は「木曜日(大会3日前)にもう一度試合をさせてください」と北原監督にメールを送った。
そして水曜日、諸岡選手が北原監督の稽古に掛かると、試合稽古のときとは見紛うような素晴らしい技が随所に見られた。
「良くなったな!」
北原監督がそう伝えると、諸岡選手は素直によろこんで見せた。翌木曜日の朝稽古、諸岡選手は北原監督にこう言った。
「監督、今日の試合はやらなくてもいいですか」
その言葉を聞いて北原監督はホッと胸をなで下ろした。精神的にも肉体的にも、日本一に挑戦する準備が整ったと感じたからだ。
「よし! じゃあ今日は稽古にしよう」
こうして諸岡選手は決戦の地、長野に乗り込んだ。
残りの記事は 剣道時代インターナショナル 有料会員の方のみご覧いただけます
No Comments