インタビュー 全日本剣道選手権大会

インタビュー(村上雷多)

2021年7月26日

2021.7 KENDOJIDAI

異例づくしの開催となった第68回全日本選手権大会。決勝の舞台に立ったのは、前回大会2位の松崎賢士郎選手と、今大会が2度目の出場となる村上雷多選手だった。「まだ自分は勝負していけるんだという自信になりました」。若きころから大器と騒がれてきた男が、長い年月をかけてやっとたどり着いた大一番。村上選手の胸中はいかほどのものだったのか―。

村上雷多(むらかみ・らいた)

平成元年北海道生まれ、31歳。伊達網代道場で剣道をはじめ、桐蔭学園高校から筑波大学、同大学院を経て、大阪体育大学の助教となる。学生時代は全国中学校大会個人3位、インターハイ個人3位、全日本学優勝大会優勝(団体)など活躍。教員になってからも全国教職員大会団体優勝・個人2位、全日本都道府県対抗大会3位等の実績がある。現在、世界選手権日本代表候補。第68回全日本選手権大会では、2度目の出場で決勝まで勝ち上がった。剣道五段

高い下馬評の裏で感じていた不調

 新型コロナウイルスの影響によって、本来月3日に開催される予定だった第回全日本剣道選手権大会は、年をまたいだ3月14日に延期となった。加えて、警察官は予選への出場を見送り。一気に混沌とした優勝争いのなかで、下馬評で高い評価を受けていたのが村上雷多選手だった。

北海道出身の村上選手は、桐蔭学園高校、筑波大学、同大学院と剣の道を歩み、現在は大阪体育大学で教鞭を執っている。残念ながら中止が決定してしまったが、フランスで開催される予定だった世界選手権の日本代表候補にも名を連ねていた。その実力は誰しもが認めるものだったと言えるだろう。

 大会当日、村上選手の1回戦の相手は、筑波大学の2つ上の先輩でもある寺島光紀選手だった。「大会直前まで調子が上がらなくて、尊敬する寺島先輩が緒戦というのは正直不安でした」

 この緒戦を延長戦でなんとか勝利した村上選手。しかし、その試合ぶりにはまったく納得がいってなかったそうだ。

 今大会に挑戦するにあたって、村上選手は自身の不調を感じていた。この1年、日本では新型コロナウイルスが猛威を振るい、剣道界もその影響を大きく受けた。稽古の自粛、大会の中止。村上選手が指導にあたる大阪体育大学も、当然ながら幾度かにわたって活動停止を余儀なくされた。「対人稽古の自粛が解除された6月くらいから、部員を3グループに分けて稽古を再開しました。我々指導者は3回にわたって稽古ができるので、コロナ禍ではありましたが稽古量はいつも以上にとれていたのではないかと思います」

 しっかりと稽古は積めていたものの、またいつ稽古にストップがかかるか分からない。年明けに迫った全日本選手権の大阪府予選の直前にも、部の活動に待ったがかかった。

「部として活動することができなかったので、神﨑浩総監督や大石洋史コーチと3人で稽古を重ねながら予選まで調整をしていきました」

 そんな状態で臨んだ大阪府予選は、まだまだ復調途上。優勝候補と言われてはいたものの、どの試合も接戦に次ぐ接戦となった。それでも勝ちきったのが村上選手の地力の証明でもあるが、自身の評価は「いつ負けてもおかしくない試合内容だった」と厳しいものになった。

 全日本本番も目前に迫った稽古でのこと、神﨑総監督から言われた言葉が村上選手の心にグサリと刺さった。

「日ごろ学生と稽古をしているもので、どうしても受け身の稽古になってしまっている自分がいました。神﨑先生との稽古でもその雰囲気が出てしまったのか、神﨑先生から『若い選手に先をかけられるぞ。もっと相手が嫌になるくらい自分から仕掛けていく方がいい』と言葉をいただきました。このときに自分を省みて、もっと選手らしく戦うようにシフトできたことが、今振り返ってみると大きかったと思います」

自分は小手じゃなくて面なんだ



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