インタビュー ヨーロッパ

スチュアート・ギブソン – 欧州剣道選手権大会2014 優勝

2021年8月9日
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※このインタビューは2020年2月に実施されました

スチュアート・ギブソン(愛称:ギボ)

1999年10月に剣道を始め、2014年には欧州剣道選手権大会で優勝、WKCに5回出場し、うち3回敢闘賞。英国オープンでは2回優勝、プレミアズカップ(英国人限定)では5回優勝し、そのうち4回は連続優勝。2007年7月に日本に移住。現在、世界的なWebサービス企業に勤務。6歳の頃からのニックネーム「ギボ」が、道場やナショナルチームでも定着し、親しみを込めて「ギボ」と呼ばれている。

プロローグ:ノッポな私と日本人

日本の皆さんはいつも私にこう言います。
「背が高すぎて、ギブソンの面を打てないよ 」と。

だから誰かに「背が高いね」と言われたら、2009年にヘルシンキで開催された欧州剣道選手権大会のことを話すようにしています。この大会では、優勝した選手に準々決勝で負けてしまったのですが、相手の身長が2メートル以上ありました。

大会を終えて日本に帰り、みんなに「どうだった?」と聞かれたとき、私はこんなふうに答えました。「相手の身長は2メートル以上あったけど、面を2回も打ったんだよ。だから二度と文句は言わないでくれ!」


取材:小関ヤオカ
翻訳:佐藤まり子

剣道を始めたのは19歳。2年後にはイギリス代表チームに

ー 今日はインタビューありがとうございます。ヘルシンキでの欧州剣道選手権大会では、準々決勝に進出したんですよね。

はい。ヘルシンキでの大会は、11年前の欧州剣道選手権大会です。ちなみに世界剣道選手権大会の初出場は、2003年のグラスゴーでの大会。初めて大会に出場したのは2001年で、当時21歳でした。イタリアの大会だったと記憶しています。

ー 初出場は21歳で、剣道は何歳から始めたのですか?

19歳です。

ー 19歳?剣道を始めて2年後にはイギリス体表チームに入ったのですか?

そうです。

ー それはすごいですね。

珍しいですよね。チャンスを与えていただいたのか、自分に剣道が向いていたかはわかりませんが…。

ー どのような先生のもとで剣道を始めたのですか?

イギリスにいる日本人の先生でした。大石さんという方で、とてもオーソドックスな剣道をされていました。先生は自分が学んできたことを表現するのがとても上手な方で、おかげで初心者の時からしっかり基本を身に付けることができました。

先生と一緒に地稽古をしたときのことを思い出すと、当時彼がどんな意図を持って稽古をしていたのかよく理解できます。現在は日本にいて、今でも連絡を取り合っています。

引退を決意して試合に臨む

ー ハイレベルな選手にとって、「勝ちたい」気持ちを持つことは自然なことです。欧州剣道選手権大会で優勝できる自信はありましたか?

優勝する前は3回とも準々決勝止まり。メダルを取れる可能性があるかもしれないと感じていましたし、勝ちたいとは思っていましたが、「よし、今日こそは勝つぞ」という気持ちにはなりませんでした。

サンドル・デゥビやファブリッチオ・マンディアのように、過去にタイトルを獲得している人たちは、はっきり「決勝の舞台で勝つ」ことを目標に掲げられるかもしれません。もちろん、私の目標も勝つことですが、メダルを獲ることを強く期待していたわけではないのです。

ー それは面白いですね。優勝して、その後代表チームを引退したんでしょう?それほど、優勝が意味あるものだったのではないでしょうか。

いいえ、私は引退したいときに引退しましたし、優勝とは関係ありません。もし欧州剣道選手権大会で最下位だったとしても、引退していたと思います。

イギリス剣道連盟の人たちに2度ほど「考え直してみないか」と声をかけられたこともありましたが、私の中では優勝とは関係なく、引退への決意があったんです。

ー 最後の大会だからこそ、全力で挑めると思って臨んだわけですね。

はい、その通りです。これが最後の大会だと。前年の経験から準々決勝までは行けるとは思っていましたが、それだけで優勝への手応えみたいなものはなかったんです。

正直なところ、とても辛い時期でした。というのも、親友のアンディ・フィッシャーはベルリンで開催された欧州剣道選手権大会で3位になったことがあります。私は何度か準々決勝までは経験していましたが、メダルを獲ったことはありません。

「アンディは3位入賞をしているのに……いったい私の何がいけないのだろう?何が足りないのだろう?」と思い悩んでいました。

ー 欧州剣道大会で初めてメダルを獲得したイギリス人はアンディですか?

いいえ、それより前に入賞者がいます。第一回欧州剣道選手権大会の優勝者はイギリス人だったんですよ。

ー おぉ!

そんなこと誰も知りませんよね。

ー そのイギリス人とは誰ですか?

Wikipediaの欧州剣道選手権大会のページには、1974年にデイヴィッド・トッド氏が優勝と記載されています。私が生まれる6年前なので、ずいぶん昔の話です。その後、イギリス人は1978年と1993年に準優勝を獲得し、その次のメダルがアンディのものでした。

欧州剣道選手権大会に向けての準備

ー 大会に向けての準備が、当日の心構えを大きく左右すると思っています。ギブソンさんの場合はどうでしたか?

欧州剣道選手権大会前、2月に東京で行われた都道府県対抗選手権の団体戦に出場しました。その試合は、1チーム7人制で、チーム内の各ポジションを年齢で分けます。私は次鋒で東京では4回戦まで進みましたが、これは悪くない成績です。そして、全日本選手権に出場したことのある実業団剣士・高村選手に勝ったんです。警察官とも試合をして負けたんですが、その時も「やられた」とは思いませんでした「いい試合ができた。もしかしたらもっとできたかもしれない」と手応えがありました。

そういう意味では、ちょっとした勢いがあったと思います。フランスに着いたときは時差ぼけを解消するのに十分な時間もありました。ただ、高村選手に勝ったとはいえ「今年こそは優勝だ!」という気持ちにはなれませんでした。自分が他の選手より強いことはわかっているし、それを理解していないのは愚かなことです。しかし同時に、自分が最も強い人間ではなく、「今回の大会は、ギブソンが絶対に優勝だ」と周囲に思われるような選手でないこともわかっていました。

ー 気持ちのコントロールがうまくいって、基本的には追い風が吹いていたのかと思います。それには何か技術的な要因はあったのでしょうか?

そうですね。2001年から2015年に引退するまでの代表選手時代は、私の剣道人生の中で最も素晴らしい時期でした。しかし、もしもう一度やり直すとしたら、違うやり方をすると思います。

ー なぜそのように振り返るのでしょう?

その時は勝つために剣道をしていましたが、今は違う目的があります。その結果、競技者だった頃の自分の剣道とは全く違うものになっていると感じるんです。

例えば、とても基本的なことですが手元をあまり上げなくなり、上げてもすぐに構えた位置に戻すようになりました。

相手を効果的に打つには、正しい構えを執らなければなりません。しかし、競技者は打たれないことも大切で、そのための最も簡単な方法は防御です。

競技者を引退した今の私にとって「構え」には大きな意味があります。子供たちにも構えを崩さない大切さを教えています。今の私が目指す剣道は、競技者時代とは全く異なるんです。

ー それは、日本で稽古を重ねてきたからでしょうか。

直接的な理由ではないですね。日本にいるからわかったのではなく、日本にいたことが大きな影響を与えています。より高いレベルの指導や様々なスタイルに触れ、剣道の幅を広げることができました。

自分の意志でこのような機会に恵まれたのだと考えています。子供たちにもそう教えています。「自分で求めなければ剣道は上達しない。チャンスは自分でつかみ取るものだ」と。

今の私は競争に100%集中しているわけではないし、勝つことに縛られていません。正直に言うと、ナショナルチームに所属しているときは、他の剣士、お金を払っている人たちに対して責任がありました。連盟が選んでくれたのですから、責任重大です。その場に行って、5秒で負けるようなバカにはなりたくないでしょう。

だから、勝つためには最大限の努力をしなければなりません。それが最優先の目標です。デュビやマンディアのような人たちは、そのプレッシャーを乗り越えることができたのかもしれません。私の場合、現役時代はそれができませんでした。引退してすべての責任から解放されて、やっと自分のために剣道ができるようになったと思いました。 それを実感したときに、自分の剣道が成長し始めたんです。

ー 代表チームの多くの選手は、同じことで苦労しているように思います。リスクを取ることを恐れているのです。

いい例えがあります。トム・クルーズの「ラストサムライ」を見たことがありますか?トム・クルーズが侍の村で誰かと稽古をしている場面があります。彼は完膚なきまでに叩きのめされますが、そこに若い子供がやってきて、「Too much mind.(いろいろなことを考えすぎだよ)」と言う。

これは競技中の剣道家にも当てはまります。チームのことを気にしたり、人の評価を気にしたり、すぐに負けてしまうことを気にしたり、あらゆることを気にしています。

それがなくなったわけではありませんが、人の目を気にせず、自分の剣道に集中できるようになってきたと感じています。競技者だった頃はそれができなかった。それが私にとっての大きな違いです。

引退を心に挑んだ欧州剣道選手権大会

ー しかし、ギブソンさんはプレッシャーを感じながらも、優勝を勝ち取りました。当時のことを教えていただけますか?

その日のことは今でも覚えています。

まず、前日の夜は全然寝付けませんでした。本当に緊張していて、睡眠時間は6時間未満だったと思います。ようやく目が覚めたときには、鼻が詰まっていました。鼻詰まりを感じながらこう思ったのを覚えています。「こりゃ、今日はダメだな 」と。

起き上がって「これではいけない」と思い、「とりあえず、このまま様子を見よう」と決めました。

予選リーグにはイタリア人とフィンランド人がいました。イタリア人は前日の団体戦の優勝メンバー、フィンランド人は上段選手でした。イタリア人は私にとって未知の存在でしたが、とにかく自分のできることをやってみようと思いました。

ちなみに、こんなエピソードがあります。前日の団体戦のアップの時に、彼が私の稽古を見ていました。私は、同じチームのジョン・フィッツジェラルドと地稽古していましいた。同じ予選リーグのイタリア人が見てると気づいていたので、わざとジョンを倒してしまったのです。

ー 試合相手への牽制のために?(笑)

もしこれを読んでいたら、ジョン、ごめんね。今まで言わなかったけど、わざとやったんだ。あの日、対戦相手のイタリア人の男を見ながら、ジョンを思いっきりボコボコにしました。ジョンには気の毒だけど、必死だったんです。対戦選手が見ているんだから何かしなければと思っていました。結果的には、それが功を奏して勝てました。

それで、予選を抜けることができました。欧州剣道選手権大会の予選で負けたことはありませんでしたが、予選で負けないことが一番の目標だったので、まずそれを達成できました。

予選を抜けた最初の試合は、ポーランド人との対戦だったと思います。ちょっとトリッキーな剣道をする選手で、延長に入ってしまいました。そのあとは…クリス・クローブルとの試合です。

ー タフな対戦相手ですね。

彼との試合は難しかった。一本を先制していたのですが、場外反則を取られてしまったんです。そして試合の終盤に、彼が体当たりをしたからだったか、私はバランスを崩して倒れそうになったんです。目の前に彼の竹刀があって、とっさに掴んでしまいました!

ー ああ!(笑)
今までそんなことしたことなかったんですけどね。

ー バランスを取るために掴んでしまったんですか?

そう、「危ない!」と思って、純粋な本能で倒れるのを防ぐために掴んでしまいました。そして、主審が試合を止め、私に2つ目の反則を与え、その2秒後、試合は延長に入りました。

ー 延長間近だと知っていたら、竹刀を掴まずに倒れていたのでしょうか?

知っていたとしても、同じことをしたと思います。怪我が心配だったんです。その一瞬の判断を覚えています。とっさに竹刀を掴み、それでも両膝をついてしまいました。本当に痛くて、その上、反則を取られました。「これは最悪の事態だ」と。しかし延長でもう一本取れて、その後のウェスリー・ハークとの対戦になったんです。

ウェスリー…彼には過去に負けたことがありますが、それは欧州剣道選手権ではなく、彼には勝ったこともありました。だから、どのような試合運びをすれば良いかは、よくわかっていました。その試合は準々決勝でした。

「ウェスリーに勝つんだ。それができれば初めてのメダルを手にすることができる」

自信を持って試合に臨み、二本勝ちしました。ただ、一本目は良かったが、二本目は怪しかった。少なくとも世界最高の一本ではありません。しかし、審判が旗を上げたのであれば、一本は一本です。

そして私は、自分の剣道人生で初めて、欧州剣道選手権大会のメダルマッチに参加することになりました。あれが私のベストマッチだったと思います。今振り返っても、いい試合だったと満足しています。対戦相手はダリオ・バエリ。彼は前日に団体優勝したイタリアチームのヒーローの一人です。フランス戦でも活躍していたので、難しい試合になると思っていました。

彼はとても攻撃的で、常に相手に向かっていくような剣道でした。「バカなことはしない」というのが私の基本プランで、自分をコントロールすることだけ考えていました。最初の一本は、彼が攻めてきたときに防御し、彼が構え直す前に面を取りました。

印象に残っているのは次の一本です。相手がひたすら前に出てくるので、後ろに下がっていたのですが、相手の手元が一瞬下がった瞬間に、すかさず小手を打ち、すぐに相手から離れました。

旗が上がっているのを見て、「よし、俺は決勝にいけるんだ」と思いました。

ー 引き小手ですか?

ええ、引き小手です。決勝進出を決めたあの一本を、今でも覚えています。
ただ、それは良かったのですが、その試合中に偏頭痛を引き起こす出来事がありました。私が小手を打ち相手が面を打ったのですが、私は頭を下げていたので、後頭部を打たれるような形になりました。彼には全く責任はありませんが、その後そのまま突っ込んできたのです。私の頭の上に胴がぶつかり、体当たりを頭の上で受けるような感じでした。耳鳴りがして、頭が割れるような痛みが走りました。

ー ただでさえ寝不足だったのに!

その通りです。しかも私は偏頭痛持ちで、6週間から8週間に1度くらいの割合で起こります。決勝戦に入ると、頭を叩かれた影響で片頭痛がし始めたんです。

偏頭痛を持っていない人にはわからないかもしれませんが、本当に頭が痛くて「試合を棄権したほうがいいのでは…」とすら思いました。「すみません、できません 」と謝るべきか悩みました。

しかし、決勝戦を前に、今は審判のマッツ ウァールクィストとすれ違ったことをふと思い出したんです。彼は私を見てこう言いました。「Good luck, hope you do well(うまくいくといいね)」と。「勝つといいね」ではなく。「やるしかない」と思いました。

ー 彼の言葉が背中を押したんですね。

はい。でも、5秒で負けても、銀メダルを取っても、今までで最高の出来だったと思います。

ー 最後のヨーロッパ大会になることはわかっていましたよね。

そうですね。「最後の試合だし、リスクを取ってでもやれることをやってみよう」と思ったんです。

2001年にイギリスのナショナルチームに入った私は、13年後、決勝戦に臨もうとしていました。決勝コートのマットの上に座り、「これが私の剣道人生、13年間で目指してきたことのすべてだ」と気づきました。

偏頭痛の影響で小さな黒い点が目の前にが現れていました。でも、もういいや、気にしないでおこうと思いました。すると、笑顔が出てきたんです。おかしいですね。ティボー バラニと目が合い、彼は私の笑顔を見て微笑んでくれました。私は「よし、やってみよう」と思いました。「何を失うというんだろう?銀メダルを手にしたんだ。それでいいんだ」と。そのおかげで、なぜか片頭痛のことは頭の片隅に追いやられていました。

ー 偏頭痛による黒い斑点はどうなりましたか?

まだありましたが、試合の途中で消えてしまいました。消えたことは今でも覚えています。偏頭痛の厄介なところは、そうやって行ったり来たりするところです。

正面に礼をして「この場所で礼をするのは初めてだ。かっこいいな…」と思ったのを覚えています。しかし、試合が始まったら、すぐに対戦相手の前本健作さんが小手を取りに来たんです。そして、旗が上がりました。

「ああ、早すぎる。この試合、悪夢になりそうだ…」

しかし、私はこの試合に勝つことができたんです。

今でも忘れられません。一本を取られた後、「この人を相手に5分間、狂ったように防御しなければならないな 」と思ったのを覚えています。10秒ほどで激しいつばぜり合いになりました。すると、主審をしていたルイ・ヴィタリスが私たちを呼んで、こう言ったのです。

「これは欧州剣道選手権大会の決勝戦だ。だから、そんな汚いつばぜり合いをやってはいけない」と言われました。私は「彼の言うとおりだ」と思いました。それで、より積極的に攻めるようになりました。その結果一本を取り返して、逆転のきっかけが生まれました。

ー 主審の言葉に助けられた?

そうですね、「決勝にふさわしい試合をしろ」と言われていたので、自分から攻めていかないといけないと思って、攻めました。そうしたら、試合の流れが一気に自分のものになったんです。「相手が何もできないくらい攻め続ければ勝てる」と思いました。

ー 今のあなたの剣道に対する姿勢が垣間見えます。

確かにそうですね。あの試合の最後の2分間は、今の私の剣道観に大きな影響を与えました。二本目を取った時のこともよく覚えています。相手は私を打ちたがっていることはわかっていました。たしか、抜き面を取りました。「空を斬るな、試合の途中で喜ぶな、礼をして試合場を出るんだ」と思ったことだけは覚えています。

ちなみに、イギリスチームでは、男性と女性が個人競技の時にお互いをサポートするシステムがあります。女子の試合の時は男子が竹刀や水などを運び、男子の試合の日には交代しました。

ー ええ、オランダチームも同じです。

そういったシステムがありましたが、その日は、アンディに側にいてほしいと思っていました。私だけ勝ち進んで申し訳ない気持ちがありましたが、「決勝でマットに座ってほしい」と伝えました。彼は、「コーチが同意すればやる」と言ってくれました。私はコーチのところに行って「アンディに一緒にいてほしい」と言いました。

私とアンディは長い間、ライバルであり、親友でした。彼は私の剣道人生において、常に頼りになる存在です。彼がいてくれることで、心が落ち着きました。私が興奮していたら、落ち着くように言ってくれますし、そのままで良ければマットの上でうなずいてくれます。

私が最初の一本を取ったとき、彼の叫び声が聞こえました。試合が終わると、彼は私に抱きつき、面金に顔をぶつけて傷を作っていました。私たちの間には純粋な友情があり、彼の感情が伝わってきました。その時、私はすべてを受け入れることができました。

「私は、ここに来た目的を果たしたんだ。ついに目標を達成したんだ」

解放感と安堵感に包まれた瞬間でした。

ー 素敵なエピソードですね!

大変な一日でした。もう一回やれと言われたら、できるかどうかわかりません。

ー 再現できない要素がありすぎて、仮にもう一度出場して優勝したとしても、まったく違うものになるでしょうね。

そうですね、まずアリーナでは最年長のオジサンになっているでしょう。取り組み方もまったく違うはず。

そして、もし誰かが突然「ギボ、お前は欧州剣道選手権大会に行かなければならない」と言ったとしても、私はそれほど心を乱さないでしょう。勝ったから、目標を成し遂げたからではありません。もうそんなことはどうでもいいんです。今は楽しむために大会に出ています。

競技上の目標はありますが、それは自分を駆り立てるためのものです。人生の中でそのような段階を過ぎました。かつては優勝すると、ヨーロッパチャンピオンだからとプレッシャーをかけられたこともありましたが、最近は気にしていません。内村先生が目の前に立っていたとして、勝たなければならない理由はありますか?

ー 最後に優勝して、無敗を貫きましたね。

そうですね、日本では「Kachinige(勝ち逃げ)」と呼ばれています。

ー 当時の試合のことや剣道への心構えなど、いろいろなお話をお聞かせいただき、ありがとうございました!

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