修養としての剣道 連載

剣道修錬のねらいとあり方(⻆ 正武)

2021年11月29日

⻆ 正武(すみ・まさたけ)

昭和18年福岡県生まれ。筑紫丘高校から福岡学芸大学(現福岡教育大)に進み、卒業後、高校教諭を経て母校福岡教育大学に助手として戻る。福岡教育大学教授、同大学剣道部長を歴任。平成11年から14年全日本剣道連盟常任理事。第23回明治村剣道大会3位。第11回世界剣道選手権大会日本代表女子監督。著書に『剣道年代別稽古法』『剣道は基本だ』『人を育てる剣道』など。剣道範士八段。九州学生剣道連盟会長。

剣道の理法とは何か

 剣道はどうあるべきか、剣道修錬者のあるべき姿とは如何様なものかという問題は常に問い続けられたのではないでしょうか。

 有史以来刀剣の発達や武士の台頭、そして戦国乱世を経て豊臣氏徳川氏の時代に至り、我が国が平安な時期を迎えたのは十六世紀の後半でした。爾来一八六七年の大政奉還に至るまでの江戸時代は、鎖国政策を取りつつも政治・経済・文化の成熟はめざましく、大陸から移入したさまざまな文物を我が国独特のものへと発展を成し遂げたのです。武術もまた数多くの流派が起こり多彩多様を極めた時代といえます。つまり戦国乱世の時ではなく平安な時代に戦闘武技を越えた修行道としての武術(兵法)が成熟した歴史は、現代の剣道に勤しむ私たちがよくよく思いをいたさなければならないことと考えます。

 支配階層である武士にはその本分を弁えることが諭され、幼少の頃から表芸である剣術の修行と併せて備えるべき学識や修めるべき人格の涵養が重んじられたものです。印度で起こり中国を経て伝えられた佛教や、中国古代の思想家を起源とする儒教などが、もののふの道の成立に影響しているのも事実です。武士としての死生観や倫理観を身に修めていく過程で、剣術修行のあり方も剣の理の探求が人の道の探究と相俟って進められるべきと考えられてきたものと推思されます。

「剣は心なり……」と唱えた島田虎之助や「活人剣」を説いた柳生宗矩の教えなどは、現代の剣道人も文化としての剣道の真髄と受けとめておくべきと思います。

 剣道の理法について考える際に、身法・刀法・心法という三つの要素について、それぞれの在るべき筋道を考察することが妥当だと考えます。人間は身と心が一元的に働くものですから、三つの要素は単独でその理法が成立するものではなく、互いに深く関連し合って筋道を形成することは申すまでもありません。ある要素の修得過程で壁にぶつかった際に、他の要素の開眼がその障壁を越えるのに有効に作用して、ハッと勘所を会得することはよくあり得ることです。

 また修錬の過程で三つの要素の占める割合は変化し、修錬課題や方法も順次変化していくことも理解しておかねばなりません。

躰はどう使うべきか(身法の理)



残りの記事は 剣道時代インターナショナル 有料会員の方のみご覧いただけます

ログイン

or

登録

登録


Subscribe by:

You Might Also Like

No Comments

Leave a Reply