稽古方法 高校剣道

自分に合ったスタイルの探求 桐蔭学園(神奈川)

2022年2月7日

昨年、コロナ禍により中止となった高校生の夢舞台・春の全国選抜。今年は徹底した感染防止対策のもとに開催され、ひさびさに高校日本一が決定した。新型コロナウイルスによって剣道もさまざまな変化が求められる中で、強豪校はどのようにしてチ ーム力を高め、全国屈指の力を蓄えたのか。全国選抜で決勝まで勝ち上がった男女上位2校の現在の取り組みから、強くなるための道すじを探る―。
桐蔭学園(神奈川)島原(長崎)
中村学園女子(福岡)筑紫台(福岡)

高校剣道時代 Vol.1
構成=寺岡智之
写真=西口邦彦

 2000年代初頭、高校剣士にとって「桐蔭学園」という名前は一つのブランドであったと言っていい。試合場で展開されるハイセンスな剣道にあこがれを抱くものは少なくなく、当時の桐蔭学園には全国から日本一を目指す剣士たちが集まってきていた。2002年・2003年とインターハイを連覇。その圧倒的な力に、他校は脱帽するしかなかった。

 あれから時が経ち、現在の桐蔭学園は名将・冨田隆幸監督が後を譲るかたちで、教え子であった雨谷武蔵監督が指揮を執っている。近年はなかなか全国でトップクラスの実績を残すまでには至らなかったが、現在でも全国大会常連の名門校の一つである。

桐蔭学園(神奈川)の主な戦績
インターハイ 優勝3回、全国選抜 優勝3回、玉竜旗 優勝1回、魁星旗 優勝3回

代表的な卒業生
村上 雷多さん(大阪体育大 教員)

全日本少年錬成大会2位、全国中学校大会個人2位など幼少期から全国レベルの活躍を見せる。高校時代はインターハイ個人3位。高校卒業後は筑波大および同大学院に進学し、現在は大阪体育大で教鞭を執る。第67回全日本選手権で決勝に進出。教員勢では最も日本一に近い選手だろう

自分たちは剣道が好きなんだと実感することができた期間

 2020年に入り、日本は世界各国と同じく、新型コロナウイルスの脅威にさらされることになった。緊急事態宣言の発令などが叫ばれる中、多くの学校が授業をリモートへと移行。もちろん、部活動も活動停止を余儀なくされた。高校剣道は全国選抜の中止を皮切りに、玉竜旗、インターハイといった高校生あこがれの舞台が次々と消滅。そもそも、対人稽古が禁止され、6月以降の稽古再開からもマスクやマウスシールドの着用が求められるなど、これまでの剣道とは様相が一変した。

「昨年のチームは全国でもトップを狙える力があったので、大会がなくなったときはさすがに落ち込んだ様子でした。ただ、いくら大会をやりたいといっても、そんな状況でなかったことは本人たちも理解していたはずです。だからこそ、普段の稽古をどういう気持ちで取り組んで行くか、復帰後は何を目標に向かっていくのかなどを、オンラインミーティングで何度も話し合いました」

 と雨谷監督。当時の3年生は12月に沖縄で開催されることになっていた全国高校生想代を目標に、下級生はそこに向かって必死に取り組む先輩たちの背中を追うようにして、同じく必死に稽古に取り組んでいたそうだ。

「稽古再開当初は、面マスクに水泳用のゴーグルをつけて稽古をしていました。

15分も面を着けて稽古をすれば息が上がってしまう状況。生徒たちにとってはかなりキツい環境だったはずですが、それでも稽古ができることによろこびを感じているのが分かりました。あのときの顔は今でも忘れられません」

 沖縄の大会で上級生たちは全国2位の好成績を残した。並行して新チームの育成も進められており、雨谷監督が1・2年生たちにつねづね伝えていたのは「力がない」ということ。しかし、3年生の想いに引っ張られるかたちで徐々に実力を蓄えていき、全国選抜予選には何とか態勢が整った。

 予選は横浜高に敗れて2位。この結果に選手たちは相当悔しがったそうだが、すぐさま雨谷監督はこのように選手に声をかけたそうだ。

「2位でも全国大会に出場はできる。ここからは全国選抜で優勝するための稽古を積み重ねていこう」

 負けたことを恥じるのではなく、その時点での力が2位だったのだと認める。そうすれば次からの稽古に対する意識をプラスに転換できる。

「この敗戦で選手それぞれの意識が変わりました。価値のある敗戦だったと思います」

県予選での敗戦を糧に選手一人ひとりが大きく成長



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