攻め

相手を動かして打て(有馬裕史)

2022年12月12日

KENDOJIDAI 2021.12

相手を動かして打突することは、攻めで優位に立ち、相手の心の変化を誘発させることが前提となる。その刹那を機会として一撃を振り下ろす。上段の名手有馬教士に、上段ゆえに感得される攻めや読み、相手を動かすということについて伺った。

構成=土屋智弘
撮影=笹井タカマサ

有馬裕史教士八段

ありま・ひろし/昭和38年神奈川県生まれ。東海大相模高から東海大に進学。卒業後教職に就き、現在は橋本高校で教鞭をとる。望星サイエンス㈱剣道部師範。主な戦歴に全日本学生優勝大会3位、全国連盟対抗優勝。全国教職員大会三位。全日本都道府県対抗、国体、全日本東西対抗出場など

 相手との相対動作の中で、どのように隙を生み出すかということですが、上段の場合、相手を動かすというよりは、強い攻めにより相手の「心」を居着かせる、動じさせるというイメージで考えています。その結果、現象面として構えが崩れ、手元が上がったり、機会でないところで打突をしてくるので、そこに間髪をいれずに打突します。

 このような考えに至ったきっかけは試合にあります。京都大会や神奈川県の連盟が主催する神奈川県剣道祭など高段者の大会では、私自身の打突にだんだんと旗が上がりにくくなった印象を持ちました。つまり打突の機会でないところで、自分勝手に打っていたということです。若い時分はそれでも、勢いで決めつけていたところもあったかも知れません。

 例えば、上段にとって相手に大きく動かれると狙いを絞りにくいものです。そのためいかに相手を動かさないかのみを考え、単純に「動作が止まるところが打ちどころ」という現象面に注視して打突していました。

 しかし段位も上がり、より高いレベルでの一本が求められてくると、心の動きを捉えることが大事になってきます。攻めの段階であくまで優位に立っておくことで、相手が苦しくなり結果として相手の足が止まり、手元が浮いてきます。まずは心、その後に体の動きが追従するのです。

 一方で相手の足が動いている時は、心は活きている場合があります。そこを無理に追いかけて行っても、相手の思うつぼで、利用されてしまいます。また年配の先生のように、動きが止まっていても心が活きている場合は、こちらの攻めに動じてくれません。そのような機会で打突を繰り出しても。勝手に打っているということで、旗は上がりません。

 先日出場させていただいた第回全日本東西対抗剣道大会では、上段からの片手小手を警戒されているように感じたので、面に行けると踏んで、思い切って行かさせてもらったところ、功を奏しました。小手を相手に少し匂わせての面でした。今回は実力のある先生相手だからこそ、匂わせるというのが有効に働いたと感じています。

 これは研究段階ですが、最近は色を見せないで攻め、最後の瞬間だけ気を入れる気持ちで打突を出しています。色を見せないのが基本で、そこにほんの少しだけ色を加味して、相手に匂わせる。大きく見せてしまうと駄目で、ほのかに匂わせたところで、パッと打突に行くという感覚です。現象面ではなく、気持ちの問題ですので、非常に表現しづらいのですが、相手の心を動かして打突の機会をつくるというのは、感覚や勘で捉える領域だと理解しています。それを鍛えるためには、稽古を積み重ねる以外に近道はないと思っています。

観の目で相手の動きの端を捉える



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