稽古方法 高校剣道

明豊高校、創部1年目の快挙。つねに一番を目指して稽古に励む

2020年2月17日

※この記事は『剣道時代 2017年9月号』に掲載されたものです。

高校剣道の歴史を紐解いてみても、あの出来事はまさに〝空前絶後〟と言っていいだろう。創部1年目、1年生チームによるインターハイ出場。快挙を成し遂げた明豊高校を率いているのは、かつて日田高校を日本一に導いた名将・岩本貴光監督である。

「明豊高校には剣道を学ぶ最高の環境がそろっています。今いる子どもたちはその環境に感謝をして、長きに渡る伝統の礎をつくってもらいたい」。わずか数ヶ月で部員を全国区にまで引き上げた、岩本指導法の核心に迫る―。

岩本貴光総監督(いわもと・たかみつ)●昭和46年生まれ、大分県出身。PL学園高校から筑波大学へと進学し、卒業後は郷里に戻り高校教員となる。日田高校在籍時の平成20年、埼玉インターハイで教え子を日本一に導く(団体優勝)。翌年、大分舞鶴高校に異動。平成25年より指導のフィールドを大学に移し、別府大学の准教授として剣道部を指導する。系列の明豊高校の指導にも携わり、剣道道場「光明館」の館長も務める。剣道教士七段

創部1年目の快挙
つねに一番を目指して稽古に励む

 昨年の6月上旬、その驚きは瞬く間に高校剣道界を駆け巡った。

「とんでもないことをしてしまったな、というのが正直な気持ちです」

 電話口の先でそう語った岩本貴光監督(現在は総監督)の声色から、その表情に苦笑が浮かんでいたことがすぐ分かった。夏のインターハイへの出場権をかけた大分県予選。優勝を飾ったのは「明豊」という、正直聞いたこともない高校名だった。それもそのはず、明豊高校剣道部は創部1年目、予選の数ヶ月前に立ち上げられたばかりだったからだ。

 なぜ、どうやって、創部1年目の剣道部がインターハイに。その答えの鍵を握るのが、指揮を執る岩本監督である。平成20年、埼玉県で行なわれたインターハイにおいて、大分県代表の日田高校は全国優勝を成し遂げた。同県勢としては、48年前の国東安岐高校以来となる快挙だった。この年は、大分県において国体が開催される年でもあった。当然、国体に向けた強化は何年にもわたって施されていたが、それでも、日田高校の優勝を予想する人は少なかったと言っていい。当時のことを岩本監督は次のように振り返る。

「あの世代は、決して素質のある子ばかりが集まったわけではありませんでした。稽古では〝自分たちは弱い〟ということを認識させた上で、じゃあどうやって日本一になるかを考えさせました。やるからには一番を目指すというのが私のモットー。目標が低ければ成果をなし得ることはできません。自分自身を律して剣道を頑張っていくと決めたならば、必ず一番を目指す。過程のなかでは当然負けることもありますが、その反省を次の試合に活かすことが大切です。地道に、そして前向きに日々の稽古に取り組んできた結果が、最高のかたちで実を結びました」

 生涯、日田高校で教職をまっとうしようと考えていた岩本監督だったが、翌年、県内屈指の進学校である大分舞鶴高校への異動が決まる。日田高校の剣道部員たちは部活動中心の高校生活を送っていたが、大分舞鶴高校ではそうはいかない。

またイチから剣道部をつくり上げていくことになったわけだが、指導の根幹がぶれることはなかった。

「君たちは勉強を頑張ってこの学校に入ってきたのだから、勉強中心の高校生活を送ってもらって構わない。ただし、剣道部に所属するのであれば、一番を目指して頑張っていこう」

 岩本監督は大分舞鶴の生徒たちにこう告げたという。ここで言う〝一番〟というのは、当然〝日本一〟のことである。

無理は承知の上、しかし、与えられた環境のなかで一番を目指していくことこそ、人間的な成長をうながす上でも大事なことだという信念が、岩本監督にはあった。

赴任当初は自身の考えと、生徒、保護者の間に溝があったというが、徐々にその溝も埋まり、日田高校では3年かかったインターハイ出場を、大分舞鶴ではわずか2年で達成した。

 ここで一つ重要なのは、岩本監督が生徒の努力のみに成長を任せなかったことである。自身も監督として、これまで以上に成長が必要だと感じた。どうすればもっと力をつけさせてあげられるのか。考え抜いた末に出た一つの答えが、現在の岩本指導法の核となっている「至短稽古」の理論である。

「剣道を頑張りたいけれど、どうしても満足に稽古の時間が取れない。これは高校剣道に限らず、多くの剣道愛好家が抱えている悩みだと思います。どのように稽古に取り組めば、より効率が上がり、満足感が得られるか。大分舞鶴に赴任した当初は、このことばかり考えていました。私の場合はありがたいことに、これまでの経験から全国の強豪校にパイプがありました。全国の強豪校に足を運び、稽古を分析して、自分なりの稽古法をつくり上げていきました」

「至短稽古」のポイントはいくつかあるが、一番大事になるのは「集中力」だと岩本監督は言う。限られた時間のなかで、どれだけ一つひとつの稽古に集中できるか。いくら潤沢に稽古時間を確保できても、集中できていなければ実じつは上がらない。元立ちも掛かり手も集中力を途切らさず、合気になって稽古を行なうことで、稽古時間は短くても思うような成果が得られることに気づいた。

「3時間の気の抜けた稽古よりも、1時間の集中した稽古。部員の意識を高いところまで持っていくことができれば、必ず結果はついてくることを実感しました」

 岩本監督が率いた大分舞鶴高校は、3年連続でインターハイ出場を決めた。この結果が「至短稽古」から生まれたであろうことは、想像に難くない。

「強くならない方がおかしい」
稀有な経験を糧にさらなる飛躍を

「自分なりに葛藤はありましたが、指導の現場を高校から大学へと移すことにしました。今度は大学生と一緒に日本一を目指そう、そう考えて別府大学にお世話になることを決めたのですが、結果、ふたたび高校剣道に携わることになりました」

 平成25年、岩本監督は高校教員を辞し、別府大学の職員となった。「剣道指導者として、もっと視野を広げていきたい」という欲求からだった。別府大学剣道部を率いて数年、九州でも指折りの実力を同剣道部が備えたところで、その時は突然訪れた。



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