※この記事は『剣道時代 2020年2月号』に掲載されたものです。
すべては今回の優勝につながっている出来事だった―。
福岡県警察のエース・國友鍊太朗選手がついに初優勝。
2度の決勝での敗戦、そして世界大会日本代表を決める強化訓練講習会での激しい競争。
幾多の困難を乗り越えた先に、天皇杯があった。
プロフィール
國友鍊太朗(くにとも・れんたろう)/平成2年福岡県福岡市生まれ。今宿少年剣道部で竹刀を握る。福岡舞鶴中学校・高校に進み、国士舘大では全日本学生大会団体優勝に貢献。卒業後、福岡県警察に奉職。全日本選手権優勝1回2位2回、国体4位、全国警察大会2部優勝など。今回の全日本選手権は福岡勢として4人目の快挙。今年は長女の一禾(いちか)ちゃんが生まれた年でもあり、愛娘へ最高の贈り物ができた。剣道五段
感謝の思いを、大阪で発露
勝利への信念を貫いた
優勝直後のNHKアナウンサーによるインタビュー。普段のクールなイメージからは想像しにくい、かなり大きな声ではっきりと答えた。
「自分の力だけでは、こんな結果が出たとは思いません」
周囲への感謝を真っ先に述べた國友選手。剣道を始めてから今まで、剣道を続ける支えだった仲間たちへの思い、また、苦労をささえてくれた先生方や家族へ、すべての人々への感謝の思いがあふれ出た瞬間だった。
令和になってはじめての全日本選手権。話題は豊富だった。3連覇がかかっていた西村英久選手、世界大会での活躍が光った大学同期の安藤翔選手、同じく世界大会組の竹ノ内佑也選手、前田康喜選手、竹下洋平選手……。あの会場にいた全ての選手が、天皇杯を本気で獲りに来ていた。
國友選手もその一人だった。初めて出場したのが平成26年、24歳の時。初出場ながら決勝進出し、一躍名をあげたあの時から5年が経っていた。その間、平成28年にも決勝進出しているが、勝見洋介選手に敗れている。力はあるのに、結果はなかなか出ない。今年こその思いはあっただろう。試合直前は調子の悪さを感じていたが、それは決して不安材料ではなかった。
「当日まで調子が悪くあせる気持ちに体がついてこられなかった部分はあったかもしれません。とはいえ、調子が上がらない中でも思い切ってやるべきことをやるだけですので、自分の剣道をやり切ることだけを考えていました」
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