剣道の技 構え

剣道は攻防表裏一体。その源は構えにある

2020年5月11日

2019.5 KENDOJIDAI

「〝攻防一致〟の剣道こそ剣道家の求めるところだと思います」と語る神﨑浩教士が、その実践のために意識しているのが構えだ。構えを見直すことで剣道が正しくなり、その剣道は生涯通じるものになる。神﨑教士の考える構えの重要性について語っていただいた。

プロフィール

神﨑 浩(かんざき・ひろし)教士八段
昭和35年宮崎県生まれ。延岡高校から筑波大学、同大学院を経て大阪体育大学で教鞭を執る。主な戦績として、全日本選手権大会出場、全国教職員大会団体優勝、全日本都道府県対抗優勝大会優勝、全日本選抜七段選手権大会3位、全日本東西対抗大会出場などがある。現在は大阪体育大学体育学部教授、同剣道部総監督を務める

求めるべきは攻防一致の剣道。構えはその土台となる

剣道では構えが大事だとよく言われます。しかし、なぜ構えが大事なのかと問われたときに、これというような答えを返せる人がどれだけいるでしょうか。昨今話題になっている問題を切り口としてみれば、構えを崩したところからはじまる剣道が批判の的となっています。防御からはじまる剣道をこころよしとしない愛好家が多くいることは、事実としてあるでしょう。であるならば、やはり個々が構えを見直す必要が現代剣道にはあるのだと思います。

そもそも構えというのは、その人の剣道観の現われとも言えると思います。足構えや竹刀の握り、姿勢、目付けなど、人それぞれ特徴はありますが、求める構えという部分では一致した見解が剣道にはあります。ただ、ではなぜそういった構えをするのかという、一歩踏み込んだ部分に関しては少し考える余地があるでしょう。

剣道の祖とも言える剣術には、半身の構えや一重身の構えがよしとされる流派もあります。現代剣道もそういった流派の一つとして考えるならば、今行なわれている剣道は相手とヘソを付き合わせ、面と向かって勝負するものです。そのスタイルのなかで戦う場合に、構えがどんな意味を持つのか、ここがとても大事になると私は考えています。

一口に「構え」と言っても、そこには「身構え」や「気構え」や「心構え」が内在しています。これらがつながっていなければならないのは、対人競技としての攻撃、あるいは相手の攻撃に対する防御、この二つが構えのなかに包括されていなければなりません。いわゆる「攻防一致」ということです。「攻防一致」とは、言葉では非常に簡単なように聞こえますが、これを実現させるためには構えの充実が必須になります。

剣道の攻めは、剣先の動きや体さばきから生まれます。その根本が構えであることは、剣道を学んでいる方々なら思い当たるところがあるかと思います。あるいは、構えが充実していればたとえ相手が打ち込んできたとしても一本にはならない、これも経験があることでしょう。

 話を冒頭に戻しますが、批判の的となっている剣道は「攻防一致」を現代剣道の原則とするならば、やはり求めるものとはかけ離れていると言わざるを得ません。全日本剣道連盟が示しているもののなかに「一本の要件」があります。防御からはじまる剣道で、この要件にふさわしい技が本当に出るのかどうか。「適正な姿勢」や「正しい刃筋」などの基準が満たされているかどうかは、その剣道を実践している本人が一番理解しているところかと思います。

 正しい剣道とはなにか、そこを突き詰めていくならば、構えは必ず見直さなければならない課題だと考えます。前述したように、剣道は攻撃と防御がつねに背中合わせで課せられており、どちらかで良いということはありません。そもそも、崩れのない構えから最高の一本は生み出されるものですし、崩れていないからこそ防御も確実なものとなります。この価値観がすべての剣道家に共有されれば、自分から構えを崩して守るような剣道を目にする機会は減少していくはずです。

「身構え」「気構え」「心構え」はすべてがリンクして作用する

「身構え」と「気構え」、そして「心構え」。これらはそれぞれが独立したものではなく、リンクしてなければなりません。

「身構え」は構えのスタイルとも言い換えることができますが、大事なのは運動機能として最高のパフォーマンスが発揮できるかどうかです。当然、人間には体格などの個人差がありますし、剣道のように道具を使う競技においては、その技術も修業の錬度によって大きく変わってきます。得意とする技もそういった部分と関連して人それぞれ違うはずです。構えには「こうでなければならない」という基本部分はありますが、それ以上は個々が稽古を重ねるなかで自分に合ったものを身につける必要があります。

 私がご指導をいただいた先生方で、とくに構えにおいて素晴らしいと感じたのは、小森園正雄先生(範士九段)です。小森園先生には、先生が国際武道大学を退かれてから大阪の修道館で幾度となく稽古をいただきました。先生が構えたときの肩から左こぶしにかけての線、これは今でも大阪の先輩方との話に出てくるほどです。すごく納まっていて、この構えからくる剣先の強さは特筆すべきものでした。そして大阪体育大学で長年にわたりご指導いただいた作道正夫先生(範士八段)も、独特の威圧感あふれる構えをされていました。

 構えというのは、なにが素晴らしいのか言葉では表わしにくい部分があります。ただ、その表わしにくいところこそ、構えの本質とも言えるでしょう。「身構え」と「気構え」と「心構え」の三つが一つのかたちとして納まったときに、威圧感やオーラと言ったような言葉では表現しづらいものが見えてきます。剣道修業の過程においては、この見えざる部分を求めて、「構え」という剣道の一つの要素を追求していくことも必要だと感じます。

「気構え」と「心構え」に関しては、これもかたちには現われないものです。相手を攻める気持ちであったり、相手がいつきても対応できる準備であったり、こういった精神的部分が「気構え」や「心構え」になると思いますが、これらは「身構え」ができていなければ発揮することができません。ですから、それぞれが独立したものではなく、リンクしているということになるのです。

スタンダードな剣道は
生涯剣道の実践に必要不可欠

 構えは教えを受けてきた指導者や自己の錬度、修業年代などによって変遷を辿るものだと思います。私も若かりし頃は足幅が広く、試合に勝つことを第一とした構えをしていました。筑波大学に入学してからは剣道の指導者を目指して、いわゆるスタンダードな構えに自身を矯正していった経緯があります。矯正中は今までできていたことができなくなったり、試合に勝つことができなくなりましたが、人間はその状況に置かれれば、何とか打破しようと新しい試みをするものです。そのなかで新たなスタイルが生み出されていくわけであり、今となっては貴重な経験だったとも感じています。

 ここで勘違いしていただきたくないのは、スタンダードな剣道だから弱いということはありません。むしろ、スタンダードな剣道こそ、生涯剣道を実践していく上においては一番求めていきたいところです。若い頃は、少々構えが崩れていようが他の部分で補うことが可能です。しかし、年齢を重ねるとそうはいきません。補いきれなくなったときに、還るべきはやはり基本なのです。この基本にはこんな意味があったのかと、修業を積み重ねるにつれて見えてくる部分は多くあります。

 これから剣道を学んでいく上で頭の片隅に置いておいてもらいたいのは、相手とのやりとりのなかで〝恐懼疑惑〟を感じたときに自分の構えがどうなっているかです。四戒が生まれた瞬間、危ないと感じて簡単に手元を上げてしまうのか、それとも我慢をして構えを崩さず攻撃へと転じるのか。先ほど挙げた大先生方は、そういった瞬間に動じることはありませんでしたし、こちらが攻撃をしようと思っても打ち込んでいけないなにかを構えから発していました。この差が、構えにおける一番と言って良い大切な部分だと私は感じています。



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