剣道は攻めること、崩すことが大切だが、いくら攻めても崩しても、捨て身の技につながらなければ意味がない。角正武範士の詳細な解説により、捨て身の一本を打つための崩し方(プロセス)を身につける―。
角正武範士
すみ・まさたけ/昭和十八年福岡県生まれ。筑紫丘高校から福岡学芸大学(現・福岡教育大学)に進み、卒業後、高校教諭を経て母校である福岡教育大学に助手として戻る。福岡教育大学教授、同大学剣道部部長を歴任。平成十一年から十四年まで全日本剣道連盟の常任理事を務める。第二十三回明治村剣道大会三位。第十一回世界剣道選手権大会日本代表女子監督。現在は福岡教育大学名誉教授、同剣道部師範を務めている。剣道範士八段
捨て身に必要なのは四つのプロセス。
つくり、あて、崩し、そして捨てる。
「捨て身」についてお話させていただこうと思います。
みなさんはどのようなことを捨て身ととらえているでしょうか。おそらくは技を出すその瞬間を指して、捨て身と表現する方が多いのではないかと思います。しかし、技を出すまでの手順を考えた場合、本当にその瞬間だけが捨て身かというとそうではありません。私はそれ以前の攻めや崩し、ここに捨て身の気構えがなければならないと考えています。
少し噛み砕いて説明していきましょう。相手を攻める場合には、当然間合が詰まります。このとき、もし疑心暗鬼であれば相手に攻めは通用しません。捨て身で攻めるからこそ、相手は動揺をきたすのです。昨今の学生剣道を見ていると、素早い動きでいかにも崩しをかけているように見えますが、その崩しの中に捨て身、〝すべてを捨てて打たれても構わん〟という覚悟が見あたりません。ほとんどのひとが〝いつ打ってきても守れるぞ〟という心構えで攻めている。その一番の現われが、手元を上げて防御するあの姿勢です。
手元を上げて間合を詰めたとしても、勢いがあれば相手にとっては嫌なもの、そういう意味では攻めは利いていると言えます。しかし、受け身の気持ちで攻めていますから当然捨て身にはつながりませんし、技にも冴えが出ません。やはり剣道は、お互いが捨て身の心持ちで技を出し合う、そこに醍醐味があるのではないかと思います。攻め崩しのところで身を捨てる、これが大事でしょう。
〝心〟と〝身〟の話
では、なぜ捨て身で打つことが尊重されるのでしょうか。そこには明確な理由があります。捨て身で打突することにより、気勢、体勢、刀勢、この三つが活きてきます。有効打突にはこの三つの勢いが欠かせません。
捨て身で打突することの素晴らしさは、勢いにより美しく迫力のある姿と、冴えのある打突が実践できるからです。そして、この勢いが相手を動揺させます。こちらがいくら素晴らしい打突を繰り出しても、相手が微動だにしていなければ飛んで火に入る夏の虫です。古くから剣道では、相手の動いたところを打ちなさいと言われます。動かなければ打ってはならない、動かなければ動かして打つ、これが鉄則です。
相手が心の動揺や構えの動揺をきたしているにも関わらず、こちらがそこに乗っていくことが出来ないのは、いわゆるその前段階で身を捨てることができていないからです。〝上虚下実〟の身構え、気構えができていないまま、かたちだけ攻めている。それでは三つの勢いは出てきません。
そしてもう一つ、捨て身と切っても切れない関係にあるのが「残心」です。残心とは字のごとく、心を残すことだと説明されることがありますが、それでは不充分でしょう。心を残すのではなく、むしろすべてを出し切ること、そこに残心は生まれてきます。
身も心も満身を込めて打ち込むことで、おのずと次への備えができる、これが残心です。中途半端な姿勢や、当てようとする打突では、逃げ腰の備えしかできません。気勢をこめ腰を入れて打突することで、体勢の崩れなく、次になにが起こっても対応できるようになります。ですから、残心において極めて重要となるのは〝心〟なわけです。
この〝心〟とは何かというと、その働きを確かにするためにはいわゆる呼吸法が大切になります。息をすべて吐き出してしまうこと、気勢の持続性が残心には非常に重要です。気勢を持続させることで姿勢正しく、手の内もほどよく力が抜けます。残心の中心は気勢であり、充実した掛け声と呼吸の方法です。残心の解説に〝打突後に油断をしない身構え、気構え〟とありますが、身構えと気構えのどちらが先かということになれば、それは気構えです。〝残身〟ではなく〝残心〟です。
呼気の持続性がない掛け声には残心は起こりえません。持続性を持たせることで攻め崩しが強くなり、打突が正確になり、次への備えができるようになります。では次への備えとは何か。これは「対応力」という言葉で表わすことができると思います。備えというとじっと待っているような印象がありますが、それは違います。大事なのは気のつながりと姿の安定、そして竹刀の自由性、こういったものが次の局面への対応力ということになります。これは前述した気勢、体勢、刀勢とまったく同じことです。瞬時の判断で打突するためには、その前段階ですべてを出し切っておかなければなりません。そうすることで自ずと気のつながりが生まれてきます。
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