インタビュー

大学剣道の頂をめざして(筑波大学)前編

2023年9月25日
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2023.3 KENDOJIDAI
構成=寺岡智之
撮影=西口邦彦

名門・筑波大学がひさびさの大学日本一を成し遂げた。主力としてチームを牽引したのは、団体日本一を目指して筑波に集った4年生4名。大平翔士、黒川雄大、重黒木祐介、阿部壮己。彼らが筑波大学で歩んだ4年間と日本一をつかむことのできた理由を、本人たちの言葉で振り返るー。

黒川雄大

くろかわ・ゆうだい/平成12年生まれ、福岡県出身。小学1年時に須恵剣友会で剣道をはじめる。須恵中学校・島原高校出身

阿部壮己

あべ・そうき/平成12年生まれ、兵庫県出身。小学1年時に印南剣道場で剣道をはじめる。加古川中学校・育英高校出身

重黒木祐介

じゅうくろぎ・ゆうすけ/平成12年生まれ、神奈川県出身。4歳の時に矢向剣友会で剣道をはじめる。潮田中学校・九州学院高校出身

大平翔士

おおひら・しょうし/平成12年生まれ、東京都出身。4歳の時に東松舘道場で剣道をはじめる。関中学校・佐野日大高校出身

春合宿でつちかった絆
星子・松﨑の背中を追って

ー昨年は筑波大学の王座奪還、おめでとうございました。今日はその主要メンバーでもあった4年生の4人に、筑波大学での4年間を振り返ってもらいたいと思います。よろしくお願いします。

全員:よろしくお願いします!

ー最初に、入学当時のお互いの印象を聞いてみたいと思うのですが。

大平:高校時代は他校の選手とほとんどしゃべることがなかったのですが、3人とも強豪校の大将だったので存在は知っていましたし試合をしたこともあります。筑波で一緒のチームになれると知ってとても楽しみでした

阿部:自分も同じです。しゃべったことはなかったですけど、ワクワクしました。

重黒木:高校時代は全国大会で勝ったり負けたりの関係で、そういう人たちと同じチームが組めるということで、これなら筑波で日本一になれるんじゃないかと感じていました。

黒川:重黒木とは高校時代に練習試合もよくしていました。大平と阿部とは直接対決がなかったのですが、強い選手というのはもちろん知っていたので、大学で一緒に剣道ができると知ってうれしかったです。

ーライバル関係が継続するよりも、仲間として一緒に過ごせる方がうれしい?

重黒木:やっぱりみんな大学で日本一になりたいという気持ちがあったので、メンバーがそろってうれしいという気持ちの方が強かったと思います。

阿部:同級生では、実力的には大平、重黒木、黒川の3人が抜けていました。私はそれ以外の存在で、もちろん悔しい気持ちはありましたけど、その分努力して結果を出そうという気持ちでした。

黒川:実際はそんなに差はないんです。稽古をしたら負けることもありました。誰かが結果を残したら自分も負けていられないという気持ちになって、お互いに良い刺激を与えながら4年間を過ごすことができたと思います。

ーそもそも、みなさんはなぜ筑波大学に進学したいと思ったのですか?

重黒木:自分は筑波大学の先生方に習いたいというのももちろんですが、先輩方に強いあこがれを抱いていました。とくに星子啓太さんは高校の先輩でもありますし、大学でもう一度、一緒のチームで戦いたいという気持ちが強かったので筑波大学を志望しました。

黒川:私も高校の先輩である松﨑賢士郎さんの存在が大きかったです。島原高校の監督だった渡邉孝経先生も筑波大学出身だったので、自然と筑波大学に行きたいと思うようになりました。

阿部:私は剣道をはじめてから日本一になった経験がなくて、高校3年時のインターハイも2位でした。大学では絶対に日本一になりたいと思ったときに、それなら筑波大学しかないなと。実績が足りなかったので入れるかどうか不安でしたが、入学できてよかったです。

大平:筑波大学には世代のトップが集まっていて、日本一に一番近い環境だと思っていました。その中で自分がどれだけやっていけるのかを知りたくて、筑波大学に行こうと思いました。

ーみんな日本一になりたいという目標をもって筑波大学に進学したわけですね。入学までお互いにあまりしゃべったことがなかったようですが、すぐに打ち解けることができたのでしょうか?

重黒木:仲が良くなったのは最初の春合宿ですね。そこで一気に絆が深まった気がします。

阿部:あの合宿は本当にキツかった。恥ずかしいからあまり言いたくないんですけど、キツすぎてみんな足が攣ったりこけたりしながら合宿所まで帰る状態でした。そこで自然と絆が生まれていったと思います。3人と話してみて、想像していたイメージとは違ったのもおもしろかったです。大平はキリッとしていますけど抜けてるところがあったり。重黒木も怖い感じですけどめちゃくちゃ優しかったり。黒川も人を悪く言わないし、根がすごく優しい人間でした。

ー重黒木選手は、1年時からレギュラーに入っていましたね。

重黒木:自信はまったくなかったんですけど、選考試合で勝つことができて、レギュラーに選んでいただきました。日々、稽古をしながら選考試合で戦う選手の研究をしていたことが良かったのかなと思います。

黒川:重黒木に関しては率直にすごいなと思いました。でもめちゃくちゃ悔しかったです。

阿部私は納得というか、まだ彼らと同じ土俵で戦うレベルにありませんでした。3年になったとき、レギュラー争いができればいいなと考えていました。

重黒木:みんなそうだと思いますが、1年のときは先輩方についていくだけで精いっぱいでした。星子さんや松﨑さんがトレーニングをしているところに一緒に参加させていただいていたのですが、あんなに強いのに努力も怠らない姿を見て、もうやるしかないという感じでした。

阿部:やるのが当たり前というか、やらないと恥ずかしいというような雰囲気が1年生の中にあったと思います。

大平:みんなその雰囲気を感じながら、それぞれ稽古やトレーニングに取り組んでいました。

ー稽古時間だけで言えば、大学よりも高校の方が厳しかったという方も多いと思いますが、みなさんはどうでしたか?

大平:たしかに稽古時間だけを考えたら、高校時代の方が長かったし厳しかったと思います。ただ、筑波大学は稽古の質がとても高くて、日本一レベルの選手とつねに竹刀を交えられる環境があります。私がそこが一番、筑波大学が強い理由なんじゃないかと感じています。

阿部:3・4年生になると次々に1年生が掛かってくるので、ほとんど立ち切りのような状態です。星子さんや松﨑さんの前はいつも行列でした。

ー1年間、筑波大学で稽古を積んでみて、高校時代よりも強くなった実感は生まれましたか?

阿部:私は圧倒的にありました。母校の育英にも自信をもって帰ることができましたね。1年のときは剣道に取り組む姿勢を、先輩方の背中を見て学んだような気がします。

重黒木:高校のときは大将を務めていて、まず打たせないことを考えながら試合をしていたのですが、大学ではその剣道では通用しないと感じました。意識的に剣道を変えていったのですが、高校と大学の剣道の違いにうまく合わせていくことができたのかなと思います。

黒川:私は高校時代、芯のない剣道をしていたのですが、どしっとした剣道に少しずつ変化していったように思います。

ー大学1年時のインカレは2位という結果でした。その結果についてはどう感じましたか?

重黒木:私は先鋒で出場していて、決勝戦は引き分けでした。負けたときは悔しかったです。

阿部:先輩たちが必死に稽古をする姿を見てきたので、あれだけ稽古をしても日本一にはなれないのかという気持ちでした。もっと稽古をしないとと思うようになりました。

大平:日本一になるって、相当難しいんだなと。試合を見ていて、早くレギュラーになりたいと強く思いました。

コロナ禍で大会中止が相次いだ2年時
大平選手が全日本選手権初出場

ー2年時はコロナ禍で大会がほとんど中止になりました。この1年間、みなさんはどんな生活を送っていたのですか?

重黒木:1年の最後の春合宿が終わったくらいから、コロナで3カ月ほど稽古ができなくなったんです。

阿部:稽古がなくなったと聞いた瞬間は、「やったー」みたいな感じだったんですけど、だんだん剣道ができないことに寂しさを感じてきて。でもやる場所もないし、私は釣りに行ったりして気分を紛らわせていました(笑)。

大平:これまでこんなに長い期間剣道から離れたことがなかったので、最初は楽しかったんですけど、徐々に焦りを感じるようにもなっていきました。

重黒木:結局自分でできることをやろうと考えて、それぞれトレーニングなどに取り組んでいたと思います。大平とはこの期間、まったく会わなかったんですけど、部全体で集合がかかったときに見たらとんでもなくゴツくなっていて……。

阿部:日焼けして真っ黒で、Tシャツもパンパンだった(笑)。

大平:自分は実家が近くていつでも筑波に戻って来られる環境でした。カラダが細いことが弱点と思っていたので、この期間に走り込みと筋トレを毎日していたんです。稽古が再開したときには、選手として頑張りたいと思っていましたから。

黒川:あれはすごかったな、衝撃だった。

ー稽古が再開してからは、マスクをしたりマウスガードが必須になったりと、これまでの稽古環境からガラリと変化したと思います。

黒川:最初は面タオルで稽古用のマスクをつくって稽古をしていました。あれは本当にキツかったです。

重黒木:私は潮田中学校のときに、冬の間はずっとマスクを着用して稽古をしていました。なんか懐かしい感覚でしたね。

ーインカレが行なわれなかったという事実については、どう感じましたか。

重黒木:あの年は、星子先輩や松﨑先輩が4年生で、大会があれば絶対に優勝していたと思います。自分たちも選手に入れば日本一になれると思っていましたから、本当に残念でした。

阿部:大会がなくなるというのは、なんとなく雰囲気で感じていました。ただ、学生の大会は開催されませんでしたけど、全日本選手権はやると聞いていましたし、ほかにもいろいろ開催された大会はあったので、目標はそちらに置いていました。

ー2年生になって、4人のライバル関係には変化が出てきましたか?

黒川:自分的には大平が強くなってきたなって。

重黒木:1年の新人戦くらいから、もう実力はついていたんだと思います。全日本選手権にも出場しましたから。

大平:筋トレをしてからカラダの軸ができた感覚があって、調子も上がってきました。

ー全日本選手権予選には、全員挑戦したのでしょうか?

重黒木:私は神奈川県予選で1回戦負けでした。

黒川:自分も長崎県予選に出場して、出場権を獲得することができませんでした。

阿部:私は茨城県予選に出場したのですが、負けてしまいました。

黒川:この年は警察官が出られないということもあって、チャンスだと思っていたんですけど。だから出場できる大平がうらやましかったんです。

大平:全日本選手権に出られたことは、本当にうれしい出来事でした。でも1回戦負けだったので……。

阿部:相手は林田匡平先輩だったんです。大平が先に一本を取ったから、私たちも盛り上がりました。結果、取り返されて負けてしまいましたが、同級生でこれだけ戦えるヤツがいるんだと尊敬しました。それと同時に、自分もやってやろうとみんな思ったはずです。

重黒木:本当にそう。大平の試合を見て、もっと頑張らなきゃダメだと思いました。

ー優勝したのは、一緒に稽古をしている松﨑選手でした。

黒川:松﨑先輩が優勝したのは、素直にうれしかったです。

大平:会場で決勝戦を見ていて、さすがだなと思いました。

後編に続く

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