KENDOJIDAI 2022.12
2連覇という偉業から9年。ついに末永選手が3度目の皇后杯を手にした。
これまでの剣道の思いや、警察を退職してガラリと変わった環境、そしてこれからを語ってもらった。
末永真理
もう1回、輝く自分になりたかった
「あれからもう9年経つんですよね。早く感じますね」
9年前の連覇を思い出しながら、末永選手は語る。今回の優勝までに6回の入賞、世界大会、退職、結婚など沢山の出来事があった。環境が変化する中、今回はどのような気持ちで挑戦していたのだろうか。
「正直、ここ数カ月は仕事のこともあり、以前とは剣道の取り組み方がすっかり変わりました。不安もありましたが、それ以前に忙しくて、悩む余裕もなかったので、以前よりも気楽に臨むことができました。やるしかないな、と」
昨年、大阪府警察を退職した。また、その後結婚し夫・将大さんが代表理事をつとめる一般社団法人み・ゆーじの事業に携わりながら稽古を続けてきた。劇的に変わった環境の中、稽古を行なってきたという。
3年ぶりの出場となった本選。いつもであればある程度試合の進行状況や選手たちの勝ち上がりの様子などを見るようにしていたが、今回は耳に入らず、ひたすら集中していた。
「目の前の相手のことだけを考えて一戦一戦戦いました」
序盤から優勝候補たちが次々と敗れる波乱含みの大会だったが、ひたすら集中しており、目の前の試合のみを見ていた。大阪府警の後輩だった玉置万優選手や過去2位の実績をもつ大西ななみ選手、前回3位の川合芳奈選手ら、実力者たちを破って決勝へ。前年度優勝者・2018世界大会のチームメイトである妹尾舞香選手に対し延長の末引き小手を決めて、皇后杯をふたたび手にした。
「少しでもミスしたらカウンターで打たれると感じましたし、体当たりから崩して打つ技などにも注意しながら、試合を進めていました。しかし、実際に竹刀を合わせるとすごく攻めの圧が強い印象がありました。ですが、それに対して気持ちで負けず『絶対チャンスはある』と考えていました。(最後の)引き小手は、無意識だったのでなぜ出たのかはわかりませんが、タイミングが良かったようです」
今回の出場にあたっては、家族や友人、さらにはかつての勤務先警察署の関係者の皆さんも応援にかけつけていたという。「やっと今まで応援してくださった方々に優勝を見せることができました。それが何よりうれしかったです。また、優勝を目指しつつもいつも届かず……。『もっと輝きたい』という思いがあったんです」
9年の間、様々な思いを抱えながらもあきらめずに戦ってきた末永選手。ずっと応援してくれた関係者・大阪の先生方への感謝の思いでいっぱいだった。
新天地・和歌山で日本一をめざした
和歌山県白浜町市鹿野。和歌山県中部にある山間の小さな集落が、末永選手の新天地だ。
「最寄り駅から車で40分近くかかるところなんです。山奥なので、都市部に出ようとすると半日使ってしまいますね」
昨夏、大阪府警察を退職した。その後結婚も決まり、夫の将大さんが代表理事をつとめる一般社団法人「み・ゆーじ」の障がい者就労支援事業で、廃校を利用した簡易宿泊施設「(ニーストサイド)」「カフェはぴらぶ」を手伝うことになった。
「義父の福祉関係の会社にいた夫はかねてより障がい者就労支援事業をしようと計画を立てていました。最初は『週3回くらい和歌山に』ということだったのですが、今は夫婦2人で、ほとんどここで生活しています」
隣接している廃校の中学校体育館で剣道を含めたスポーツを行なうことができる。すでに合宿を目的として多くの団体が利用している。近くには顧客に提供する無農薬野菜を栽培しており、末永選手も野菜に関する知識を相当に蓄えたそうだ。
「食事については畑で作った野菜をお客様に提供したいね、と夫に提案しています。夫は『今までお世話になった方々に還元をしたい』という思いもあって、なるべく宿泊費を抑えながら頑張っています。本当に一からの活動で、耕作放棄地を耕して畑にしたり、カフェの内装やテーブルなどの備品も地元に住むスタッフの方に作ってもらいました。就労支援の利用者の方たちと接しながら、意思の伝え方などに苦慮しながら、一つ一つ手作りしています。個人の方も受け付けていますので、気軽に利用していただきたいです」
あたらしい生活はすっかり板についており、充実している様子が伝わってくる。
稽古環境の方はどうだろうか。大阪府警察を退職し、稽古環境は一変したはず。また、警察という環境から離れる決断も、大変だったと思うが……。
「大阪府警察の退職については、悩んだ末の決断でした。料理の勉強など、やりたいことをしたいという思いがあって、退職させていただきました。また、当時新型コロナウイルス流行の影響で稽古や大会出場を自粛していました。出稽古も行なえない状況で八方ふさがり。『もういいか』と半ばあきらめたような感情になっている自分に気づいた時、『それでいいのか』という思いが湧いてきました」
退職後、関西の大学へ出稽古に出かけたほか、稽古会や講習会へと足を運ぶ機会が増えた。「お願いします」と門をたたきながら、大阪府警特練という環境がいかに恵まれていたか、また、多くの方の協力で現在稽古ができていることへの感謝を実感したという。
「大阪体育大、同志社大、立命館大、花園大学の皆さんと稽古をさせてもらいました。快く練習試合に混ぜて下さいました。大阪体育大にはブラジル世界大会でお世話になった神﨑浩先生がいらっしゃいます。優勝するまで応援する、と快く受け入れて下さったのが、ありがたかったです」
また、普段は夫・将大さんや父・山本雅彦教士と稽古を重ねたという。
「夫が主に稽古相手になってくれました。夫も剣道が好きで、追い込み稽古などにも付き合ってくれます。ただ、お互い負けず嫌いなので一本勝負になっても勝負が決まらないことがよくあります(笑)。また、週末には自宅がある大阪に戻ります。よく父と夫と私の3人で稽古しました」
父・山本雅彦教士は末永選手のことを暖かく見守ってきた一人。2回目の優勝のあとなかなか勝てなかった末永選手は結婚前までおよそ9年、父と朝稽古を続けていた時期があった。
「ほんの30分ですが私にとって大切な稽古でした。平日毎朝4時15分起きで鹿志館という道場をお借りして打ち込みや自信をつけたい技をくり返し練習しました。毎回、父は必ず私より先に着いていました」
末永選手の全日本女子に対する思いは家族を始め多くの人の心を動かし、沢山の協力を仰いで稽古を続けてきた。協力してくださった方々との稽古が力になったことは間違いないだろう。人と人との絆は大きな力を生み出すのではないか、と実感させられた。
感動を与えられる人になりたい
末永選手は、かねてより「感動を与えられる人になりたい」と語っていた。小学生の頃、父・山本雅彦教士の試合を見て感動したことがきっかけだった。今も、その思いを持ち続けている。
「今回の全日本女子については、ずっと応援して下さった方々に対してどうしても優勝で恩返ししたいと思っていました。
『もう警察をやめて稽古量が減ったし、仕方がないね』なんて思ってもらいたくなかった、という気持ちもあったと思います。ただ、試合内容を振り返るとのびやかさに欠けていた立合だったと反省する点もありました。私の理想とは少し違ったのではないかと」
試合内容について、ある人から指摘をされハッとさせられたのだという。
「大会の翌日、『打つべき機会で打っていない』『もっとのびのびと剣道をしてほしい』といったことを指摘されて。正直悔しいけれど的を射ているからズーンと響きました」
勝負にこだわり過ぎると、打たれたくない気持ちが強くなる。本来自分がやりたい剣道は、捨て切った剣道だと語る末永選手。
「今以上にいい剣道ができたら納得してもらえるかもしれないですね。今回の試合内容については自分でもすごいと思えないので、今度は良い技が打てるように、そして多くの方に・剣道やっていない人にも感動してもらえるような、そういう剣道を見せられたらいいなと思っています」
今年3月より週1回トレーナー指導のもと、トレーニングを行なっている。年齢が上がり以前より筋力が衰えやすくなってきたが「トレーニングによって剣道の稽古だけでは補えない体の弱点を克服し、パフォーマンスが向上している」と、自らの伸びしろを実感しているという。
剣道修業には終わりがない。末永選手の道はまだまだ続いていく。
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