KENDOJIDAI 2021.2
〝名は体を表わす〟という言葉のとおり、栄花直輝は剣道界で一際目映い光を放っている。実力と華やかさを兼ね備えた不世出の剣士は、日本一の称号をつかむためにどのような努力を重ねてきたのか。本人の言葉でその道のりをたどる―。
栄花直輝(えいが・なおき)
昭和42年生まれ、北海道出身。東海大第四高校から東海大学に進み、卒業後、北海道警察に奉職する。主な戦績として、全日本選手権優勝(3位1回)、世界選手権個人・団体優勝、全日本選抜七段選手権優勝、全日本選抜八段優勝大会優勝などがある。現在は北海道警察警務部教養課で術科指導室長を務める。剣道教士八段
〝日本一〟の響きに憧れて剣道をはじめる
―今回は〝日本一〟をテーマにお話をおうかがいできればと思っています。まずは日本一をはじめて意識した瞬間から教えていただけますか。
栄花 そもそも私は〝日本一〟という言葉にあこがれて剣道をはじめました。日本一になる手段の一つが、故郷・喜茂別の町技であった剣道だったということです。
―なぜ日本一になりたかったのでしょうか。
栄花 私が小学校に入学する前、喜茂別剣道連盟の先輩たちが茨城県水戸市で開かれていた錬成大会に出場しに行きました。大勢の大人が旗を振りながら兄たちの乗る汽車を見送る姿を見て、子ども心に強いあこがれを抱いたんです。兄はどこに行くのかと母に聞いたら、「水戸黄門さまのところに日本一になりに行くんだよ」と。剣道と日本一がつながった瞬間でした。
―日本一という響きにあこがれていた。
栄花 そうだと思います。当時で言えば、仮面ライダーをみて〝世界征服〟という言葉になぜか分からないけどワクワクする、そんな感覚ですよね。
―実際に剣道をはじめられてからも、日本一という夢はつねに持っていたのでしょうか。
栄花 剣道自体は、最初のころはあまり好きではありませんでした。当然日本一への気持ちも意識の外という感じで、ふたたび日本一になりたいと強く思うようになったのは高校時代だったと思います。
―東海大第四高校(現・東海大札幌高校)へは、日本一になりたいという気持ちで入学を決めたのでしょうか。
栄花 北海道の強い選手がこぞって東海大第四高校に入ることになって、これなら日本一になれるんじゃないかと期待を持って入学しました。ただ、実際に全国レベルで戦ってみると九州勢がとにかく強くて、これは日本一にはなれないと諦めの気持ちもありました。
―高校1年時のインターハイで個人ベスト8まで勝ち進んでいますが、それでも日本一にはなれないと思った。
栄花 1年のインターハイくらいまではいけるかなと思ったんです。でも、だんだんとどうやったら剣道が強くなるのかが分からなくなってきて、高校2年生のときは自分がなんで勝てているのかが分からないといった状況でした。徐々に成績も落ちていって、高2のインターハイは3回戦、高3のインターハイ出場もできない。正直、高校を卒業したら剣道を辞めようと思っていましたよ。私の剣道人生で一番悩んでいた時期かもしれません。
―そんな気持ちを持ちながら、東海大で剣道を続けていくことになったわけですよね。
栄花 高校が東海大の附属でしたし、兄もいたので東海大に進むのは既定路線でした。入学当初は剣道に対する気持ちがまだ復活しきっていなかったのですが、稽古に参加してみて少しずつ気持ちが変化していったんですね。高校と大学の剣道の質の違いというか、それを感じたときに、もうちょっと頑張ってみようかなと思えるようになったんです。
―質の違いとは、具体的にどういうことですか。
栄花 PL学園高校からきた石井健次先輩という方がいて、その剣道がすごく格好良く見えたんです。攻め勝って打つというか、私がそれまでやっていた勢いに任せた剣道とはまったく別次元のものでした。こんな剣道もあるんだと衝撃を受けて、自分も少し足幅を狭く、肩の力を抜いて剣道をするようになると、どこかしっくりきたような感覚があり、この剣道をもっと求めてみたいなと思うようになりました。
―また日本一になりたいという想いが芽生えてきた。
栄花 大学2年生からレギュラーになって、徐々に新たな剣道のスタイルができあがってきた感覚がありました。橋本明雄先生(範士八段)と網代忠宏先生(範士八段)の剣道授業も受けていて、やりとりのおもしろさも感じるようになっていました。冷静に攻めを組み立てて技が出せるようになり、また上を目指せるかもと思ったのもこのころだったと思います。
―3年時の全日本学生選手権では決勝に進出し、あと一歩で日本一に手が届きそうでした。
栄花 直前の関東大会がベスト8で悔しい思いをしたので、全日本で結果を残すことができて満足感でいっぱいでした。
―このくらいからは、将来、日本一を目指して剣道を続けていく気持ちは固まっていたのでしょうか。
栄花 いえ、剣道を続けていこうとは思っていましたが、学生時代は将来教員になることを考えていました。ただ、北海道には古川和男先生を筆頭に、林朗、佐賀豊、栄花英幸、佐賀聡といった教員の猛者が多くいました。就職先を決めるにあたって、これからは警察が強くならないと北海道がダメになると多くの方々から話をいただいて、最終的に北海道警に進むことを決めたんです。
同じ土俵にいればトップに立てる自信があった
―北海道に戻って新たなスタートを切ったわけですが、まず目標としたことはなんでしたか。
栄花 私が強くなって全国区で活躍することができれば、北海道警も強くなっていくはずだと考えていたので、もうこのときには日本一を目指して頑張ろうという強い気持ちがありました。
―ただ、環境に恵まれている大都市圏とは違い、地方から日本一を目指すのは並大抵のことではなかったと思います。
栄花 これはもう『ドカベン』や『キャプテン』の世界です。『ドカベン』は雑草軍団がそれぞれの個性を活かしてチームワークで勝利していく。『キャプテン』も2軍だった選手が努力をしてキャプテンという重責を担い、全国優勝を目指していく。まさしくこのような状況でした。ゼロベースからどうやってトップに勝負を挑んでいくか、ここに私は大きなやりがいを感じていましたし、作り上げていくことが楽しかったとも言えます。
―よくスポーツ選手は環境の大切さを言いますが、環境に流されてしまうことはありませんでしたか。
栄花 流されてしまうのではなくて、あえて流される、これが重要だと私は感じていました。自分の信念は強く持ち続けるなかで、公私の区別をしっかりとすることが大事だと思います。そうしないと、応援してくれる人もいなくなりますし、仲間も減ってしまいますから。努力は人に見えないところでいくらでもできる、私はそう思います。
―どのくらいから全日本選手権で上位を争える手応えを感じていましたか。
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