インタビュー

もう一人の師匠はわが父だった(北条将臣)

2024年9月30日

2024.10 KENDOJIDAI

世界選手権の個人優勝を例に出すまでもなく、選手として第一線で戦い続けてきた北条将臣教士。剣道を始めたきっかけ、どのような剣道人生を歩んできたのかうかがった。

北条将臣 教士八段

ほうじょう・まさおみ/昭和49年生まれ、神奈川県出身。横浜高校から日本体育大学に進み、卒業後、神奈川県警察に奉職。主な戦績として、世界選手権大会個人優勝、全日本選手権大会3位、全国警察大会団体優勝、国体優勝など。現在は神奈川県警察剣道副首席師範として後進の育成に励む。令和6年5月、八段昇段

「三年間は続けなさい」
父の約束で剣道を始める

 私が育ったまち、神奈川県三浦市は神奈川県の南東部、三浦半島があり、マグロの水揚げで有名な三浦漁港や農業でしられます。一方で赤坂遺跡や鎌倉時代の武士たちが残した遺跡・史跡などが残り、歴史情緒の漂うまちでもあります。

 私が剣道を始めたのは小学校一年生の時でした。父が私に礼儀作法を身に着けさせようと三浦友愛館に入門させました。「三年間は続けなさい」と、厳しい表情で私を見据えた父の顔は忘れられません。

 父はフランス料理のコックさんでした。とにかく礼儀作法に厳しく、食事の時のルール(箸の持ち方、取り扱い方など)を間違えると食事を中断させられてしまいました。空腹を満たそうと、必死にマナーを覚えたことを懐かしく感じます。三浦友愛館の稽古は週に三回でした。低学年の部は夕方から始まるのですが、父は仕事(ディナータイム)があるはずなのに、稽古日は必ず道場に足を運んでいました。どうやら、自分の休憩時間を稽古時間に当てていたようです。

 父は剣道をまったくやったことがなかったのですが、道場の先生はもちろん、講習会などにも参加するなどして剣道の知識を高め、私が上達するにはどうしたらいいのかをいつも考えてくれていました。

 とくに思い出深いのは動画での検証です。当時はビデオカメラでした。父は私の試合の応援に駆けつけては、当時としては珍しいビデオカメラで私の試合を録画しました。帰宅後に二人で反省会をするためです。勝敗に関係なく、父は先に帰ってビデオを見返しては次の試合に向けた改善点を整理していました。疲れて帰ってきた私にとっては嫌な時間でしたが、父のアドバイスは「左足の引きつけが遅い」「右手に力が入っている」と的を射たものが多く、言い返すことはできませんでした。



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