2022.6 KENDOJIDAI
写真=西口邦彦
構成=土屋智弘
蹲踞から立ちが上がると初太刀、相手を気と剣で制し、居着つかせた間をストンと面に出る。スピードがあるわけではないが、竹刀が吸い込まれるように相手の頭上を捉える。今年岩立範士は八十三歳を迎えた。筋力の衰えは当然の如しだが、相手の心を掴み、気力で乗って打つ剣道に益々磨きをかける。脂の乗った若手を最低限の力で遣う姿は剣道の奥義をみるかのようだ。人生百年時代、剣道にその真価を求めるために、範士の剣道人生を振り返ってもらった。
岩立三郎

いわたて・さぶろう/昭和14年千葉県生まれ。成田高校卒業後、千葉県警察に奉職する。剣道特練員を退いた後は、関東管区警察学校教官、千葉県警察剣道師範などを歴任。昭和53年から剣道場「松風館」にて剣道指導をはじめ、現在も岩立範士の指導を請うべく、日本はもとより海外からも多数の剣士が集まっている。第17回世界剣道選手権大会では審判長をつとめた。現在、松風館館長、尚美学園大学剣道部師範。全日本剣道道場連盟副会長、全日本高齢剣友会会長。剣道範士八段。
健康に注意して生涯剣道を貫く
今年わたしは八十三歳です。剣道人生も六十三年になりました。わたしが館長を務める松戸の松風館や尚美学園大学で今も変わらず稽古を続けています。コロナ禍で対人稽古が中止になった期間もあり、体力の落ち込みを感じています。以前ならば届いていた面が今は届かない。一時間ほどの稽古をすると、筋肉が攣ってしまうようなことも度々あります。それでも健康面では薬要らずの生活を送れていますので助かっています。
健康に関しては、高血圧や高血糖を始めとする成人病にも罹らず、いわゆる持病を持っていませんので、薬といったらたまに胃腸薬を飲むくらいです。目に関しては白内障の手術をしましたが、メガネも要らない日常を送れています。一方で長年剣道をやられている方に多い、難聴には悩まされています。日常生活に補聴器が欠かせません。
怪我に関しては、剣道によるものを何度かしました。右膝や肘の手術、腕の二頭筋を切ったこともあります。一番辛かったのは肩のインナーマッスルである左肩の腱板の損傷で、手術のため五日間入院をしました。七十代の頃だったのですが、稽古中、面に打突した際痛みを覚えました。しかしそのまま最後までやり通し、その後医者に行きました。完全に腱板が切れていると診断され、不安を覚えました。とくに歳を重ねてからの怪我は剣道生命に関わることが多いからです。しかし幸いにも整形外科の名医に出会うことができ、五日間の入院、内視鏡手術で繋いでいただきました。その後半年間稽古をやりませんでしたが、ほとんど問題なく復活することができました。
このように健康で八十三歳まで生きて来られたのは、剣道と「いい加減」な生活のおかげと思っています。生きていれば嫌な思いを抱くことは当然あります。しかし意識はしていても、よい加減で対処していますと、自然に終わってしまいます。ストレスを溜めないことは大事です。
またわたしは親からいただいたありがたい体のおかげで、健康を維持できていると思います。実家は農家だったのですが、戦中戦後の貧しい時期、粗食で育ったのが良かったのかも知れません。長男は怪我で施設に入っていますが、次男はまだ現役で働いていますし、私は剣道、妹は農業をやっています。みなが健康で活躍できて、幸せを感じています。
自らの剣道を年代別に考える
今回は生涯剣道がテーマです。そのためにはここまで述べたようにまずは健康が第一です。わたしは警察に奉職しましたが、同期生は六十人いました。この歳になると、その半分以上が他界しています。同期会を五年くらい前まで開催していたのですが、みなやっと動いているような状態で、笑い話のようですが、飲み放題プランを注文してもみなお酒をほとんど飲めず結局、損をしたというような状態です。そして会自体も消滅しました。わたしは剣道を続けているおかげで一番元気です。
生涯剣道を年代別に考える際、持田盛二先生(範士十段)の「わたしは剣道の基礎を体で覚えるのに五十年かかった。わたしの剣道は五十を過ぎてから本当の修行に入った。心で剣道しようとしたからである。六十歳になると足腰が弱くなる。この弱さを補うのは心である。心を動かして弱点を強くするように努めた。七十歳になると身体全体が弱くなる。こんどは心を動かさない修行をした。心が動かなくなれば、相手の心がこちらの鏡に映ってくる。心を静かに、動かさないように努めた。八十歳になると心は動かなくなった。だが時々雑念が入る。心の中に雑念を入れないように修行をしている」という言葉はまさに至言です。わたし自身の剣道を振り返りますと、二十代から四十代くらいまでは完全に掛かる稽古をしていました。相手の弱点を打つのではなく、元立の先生の強いところ、強いところへと掛かっていきます。そうした、いわゆる先の稽古が四十代までは必要だと思っています。そしてわたしは四十九歳で八段に合格しました。
五十代、六十代というのは剣道家にとって一番強い時期だと感じています。その時代に自分の剣道をどういう方向に持っていくのかを考えます。わたしは気を持って攻める剣道を志しました。
この年代で注意すべきことですが、強さと経験があるあまり元立ちをする際に相手と稽古をしてもすぐに中断し、講釈を加える先生がいます。あれはやるべきではないと思っています。それでは、掛かり手の気を完全にくじいてしまいます。一生懸命に挑戦しようという意識で掛かってきていますので、それは絶対やるべきではありません。稽古が終わってから伝えてやればいいのです。
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