2025.5 KENDOJIDAI
取材=寺岡智之
写真=笹井タカマサ
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内村良一

うちむら・りょういち/昭和55年生まれ、熊本県出身。順道館で剣道をはじめ、九州学院中学校・高校、明治大学で剣を磨く。学生時代はほぼすべてのタイトルを手中に収める圧倒的な活躍。警視庁奉職後も、全日本選手権大会優勝3回、世界選手権大会団体優勝3回、全国警察大会個人・団体優勝など剣道界の先頭をひた走ってきた。七段戦は6度の出場で2位3回・3位2回の好成績。7度目の出場となった第12回大会で、悲願の初優勝を果たした。現在は警視庁剣道教師として、警察官に剣道を指導する職務に就く。世界選手権は第19回大会に続き、2027年開催の第20回大会に向けても男子日本代表コーチを務める。剣道教士七段
あと一歩が遠い七段王者のタイトル
ライバルたちの祝福の拍手に包まれ、安堵の表情とともに笑みをみせた内村良一選手。それほど、今回の出来事はうれしかったのだろう。第12回全日本選抜七段選手権大会優勝。内村選手にとっては平成25年の第61回全日本選手権大会以来となる、個人日本一のタイトルだった。
「本当に長かったですね。七段戦は私にとってどうしても獲りたいタイトルでした。大会前はいつも警視庁の師範の先生方に稽古をお願いするのですが、今大会前は主席師範の平尾泰先生から『気持ちが入りすぎて肩に力が入っている。大事なときほど上半身の力を抜きなさい』とご指導いただきました。この教えを自分に言い聞かせながら戦ったことが、優勝へとつながっていったと思っています」
内村選手の七段戦初参戦は今から7年前のことになる。33歳で3度目の全日本選手権優勝を果たし、その後も挑戦を続けていく道程での七段戦参加。内村選手にとって、七段戦とはどのような位置付けなのだろうか。
「七段剣士は、全日本選手権を引退すると個人で日本一を決める大会への出場機会がほとんどなくなります。そうなると、次なる目標は八段審査へと移っていくわけですが、七段戦があることで、その修行の過程でもう一度、日本一に向かって研鑽を積むことができます。私にとっては修行の成果を発揮できる、非常にありがたい大会です」
37歳で初参加となった第5回大会は、ある意味、衝撃的な結果となった。最年少は内村選手と、同期で実業団剣士として参戦した橋本桂一選手の2名。いまだ現役で全日本選手権に挑戦を続けていた内村選手は、当然のことながら優勝の最右翼と目されていた。しかし、事はそう簡単に運ばない。内村選手がリーグ3引き分けで優勝争いから姿を消すと、そんな内村選手を尻目に、颯爽と優勝を飾ったのは橋本選手だった。
「今回で7度目の出場になりますが、今振り返れば、予選リーグを上がれなかったのは初出場の第5回大会だけです。七段戦のレベルの高さはもとより、リーグ戦の難しさを痛感した一日になりました。それにしても、一番若かったときに結果が出ず、最年長で、もう優勝は難しいと思われているときに優勝が叶う。剣道は本当に難しいものです」
初出場時の悔しさと経験をバネに、ここから内村選手は一気に成績を伸ばしていく。翌年の第6回大会は早くも決勝の舞台にたどり着き準優勝。第7回大会も準決勝まで勝ち進み、3位入賞を果たした。第8回大会は日本全土が新型コロナウイルスの影響下にありあえなく中止。第9回大会も中止の可能性があったが、時期を2ヶ月ずらすことでなんとか開催に至った。この第9回大会こそ、内村選手の七段戦挑戦のストーリーの中では、大きな転機となる大会だった。
「実は大会1ヶ月前の3月に父が亡くなったんです。亡くなる5日前、リモートで家族電話をしたのですが、そのとき、七段戦が開催されるという話を父にしたら、ニコッと笑ってくれました。すごく楽しみにしてくれていたのだと思います。その想いもあって、これまでよりもさらに、優勝をしたいという気持ちが強くなっていきました」
覚悟を決めて臨んだ大会は、予選リーグを2位で通過。決勝トーナメントは全日本選手権者の木和田大起選手や、初出場で勢いに乗る松本勝範選手を破り、決勝まで駆け上がった。決勝の相手は中学校・高校とチームメイトとして戦った亀井隼人選手。延長の末に亀井選手に小手を打たれて敗れ、ふたたびあと一歩のところで日本一を逃す結果になった。
「亀井選手の優勝を素直によろこぶ反面、うらやましいなという気持ちは正直ありました。でも、父はよろこんでいたと思います。いつも母と2人でビデオカメラを片手に応援していた息子とその仲間が、大舞台の決勝で戦うことができたわけですから。この敗戦を無駄にはできないと思いましたし、来年は必ず優勝しようとすぐに目標を新たにしました」
そして1年後、第10大会でふたたび内村選手は決勝に進出した。決勝の相手は前年の亀井選手と同じく中・高で同じ釜の飯を食った仲間、友井浩一朗選手だった。2年連続の同級生対決は、またも相手に花を持たせることになる。この2連敗は、さすがの内村選手もこたえたようだ。
「友人2人を祝福する気持ちもありながら、やはり悔しさは募りました。負けた原因は自分にあるので、なぜ勝てないのか、どうしたらあと一つ壁を越えられるのか。自問自答する毎日が続きました」
これまで出場5回。気がつけば、出場選手の中でも上から数えた方が早くなっていた。七段戦は多くの選手が44歳の年を最後に卒業し、2年後に控えた八段審査に照準を合わせる。内村選手に残された猶予はあと2回。「もう優勝は無理かもしれないという思いがなかったと言えば嘘になる」と、心の内にも自然と焦りが生まれていたようだ。その焦りをさらに強くしたのが前年の第11回大会。警視庁の後輩である畠中宏輔選手や、全日本王者である勝見洋介選手が37歳の若さで参戦し、大会を席巻した。内村選手は準決勝まで勝ち進むも、畠中選手に敗れて3位。その畠中選手が決勝で松本選手を破り、初出場初優勝で大会を締め括った。「若さを感じた大会でした。自分の体も現役時代のようには動かなくなってきていて、さらに悩みを深くした一日だったと思います。でも、自分に言い聞かせていたのは〝諦めない〟こと。ここから一年、ラストチャレンジに向けてふたたび走り出すことを決めました」
多くの支えがあって今の自分がいる
置かれた環境下でベストを尽くすこと
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