2025.10 KENDOJIDAI
撮影=西口邦彦
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本年6月、剣道・居合道・杖道を統轄する全日本剣道連盟の第十一代会長に真砂威氏が就任した。戦後生まれが会長職に就くのは初めてのことだ。国内における剣道普及の問題、世界大会を含めた剣道の国際的普及のことなど抱負や課題を自身の剣道歴を交えてお話しいただいた。
真砂威(まさご・たけし)

昭和21年広島県生まれ。私立大阪高校卒、近畿大学中退。昭和45年兵庫県警察奉職、機動隊勤務を経て昭和58年剣道指導専門職へ。平成5年警察庁出向、警察大学校術科教養部教授、主任教授、術科教養部長を経て平成19年退職。全日本剣道連盟では警察大学校勤務時代から『剣窓』編集委員、国際委員、称号・段位委員などをつとめ、常任理事となった後、令和2年に副会長となり、本年6月、第11代会長に就任した。平成8年八段取得、平成18年範士受称。
剣道復活73年
剣道をさらに発展させる
令和7年(2025)6月、全日本剣道連盟理事会において、真砂威氏が第11代会長に就任した。
「私は剣道が禁止されていた昭和21年生まれです。全日本剣道連盟は初代会長木村篤太郎先生から第二代石田和外先生、第三代河合堯晴先生など、歴代、政財界で活躍をされていた先生方が舵取りをされていました。一方、私は昭和45年、兵庫県警察の警察官を拝命し、機動隊勤務となり、剣道特練員として各種大会で優秀な成績を収めるために稽古にあけくれた生活をしてきました。特練員を終え、剣道指導者を務めるなか、平成5年に警察庁へ出向し、警察大学校勤務となりました。これを機に全剣連で『剣窓』編集委員や国際委員などの仕事をさせていただくようになりました。以来、30年以上、全剣連で仕事をさせていただいておりますが、まさか自分が会長の要職に就くとは夢にも思っていませんでした」
昭和20年(1945)8月14日のポツダム宣言受託および同年9月2日の降伏文書調印で第二次世界大戦が終結、日本は連合国軍最高司令部(GHQ)の占領下に入った。剣道を含めた武道は、軍国主義教育を助長したものとみなされ、正課授業および課外活動として剣道・柔道・弓道・薙刀は禁止された。剣道が活動できるようになったのは、昭和27年4月のこと。サンフランシスコ講和条約の発効により日本は独立を回復し、剣道が解禁となり、同年10月、全日本剣道連盟が設立された。戦後から実に7年もの時間がかかった。「全剣連設立は、私が6歳のときです。当然、剣道のことは知りませんでした。その私が、73年後のいま、全剣連代表者をさせていただくことになりました。今回の人事により会長、副会長、常任理事など執行部はすべて戦後生まれの者が就くことになりました。すでに新体制により各種行事が進んでいます。喫緊の課題は子どもの人口をどう増やすかです。全剣連では、剣道人口の減少という大きな課題に対し、この春『剣道未来プロジェクト』を立ち上げました。本プロジェクトでは、剣道が有する文化的価値や教育的意義をはじめ、『剣道の良さ・楽しさ・素晴らしさ』を剣道関係者にとどまらず、広く社会へ、とくに次代を担う幼少年を中心とした人々に向けてわかりやすく発信し、剣道を文化として後世に伝えることを目的としています。やれることから精一杯取り組んでいきたいと考えています」
第20回世界剣道選手権大会
第1回アジア・オセアニア剣道大会
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