彼に遠い間合は我にも遠いのが道理。しかし入り身の技をもってすれば、彼に遠く、我に近い間合を実現させることができる。時に鋭く、時に軽やかな自在の足さばきをもって鳴る太田忠徳範士が語るその極意とはー。
太田忠徳範士
おおた・ただのり/昭和十六年千葉県生まれ。修道学院出身の福岡明範士に剣の手ほどきを受け、匝瑳高校卒業後、警視庁へと進む。選手、指導者として数々の功績をあげ、警視庁剣道主席師範を務めたのち、平成十二年に退職。現在は全日本剣道道場連盟専務理事、日本武道学園講師などを務める。剣道範士八段。
自在の足さばきと体さばき、
刀法の理解が剣道の幅を大きく広げる
「入り身」とはまた、難しいテーマをいただきました。通常、剣道形の小太刀の形にある入り身とは、充実した気勢をもって相手の手元に攻め込み、自由自在に変化して勝ちを制することを指します。そして攻めと打突は一体でなければならず、小太刀の形ではその一連の動作を学ぶことができ、ひいては竹刀剣道の攻めを体得することにもつながります。
ただし、これらは長い剣道修業の先に見えるものであり、自身の充実はもちろん、彼我の関係を理解せずしては成り立ちません。決してひとりよがりな足さばきや体さばきで行なえるものではないということをまず知っておいていただいた上で、入り身の技を体得するために必要な過程を、今回はお話しさせていただこうと思います。
入り身の技を実践するためには、前後左右斜めいずれにも素早く動くことのできる足さばきと、それに伴う体さばきの修得がかかせません。そんなことは当たり前だと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、昨今の剣道を見ていると、どうもそうとは言い切れないようです。直線的なやり取りがあまりにも多く、体を左右や斜めにさばくという当たり前の動きさえ、見かけることが少なくなりました。私が教えをいただいてきた剣道とは、質そのものが変わってしまったかのようです。
正面から相手を割って打ちこむ技は、たしかにすばらしいものです。しかし直線的な剣道への偏重により、相手の技をただ受けるだけという悪癖が横行してしまったことも事実でしょう。なぜ相手の技を受けてしまうのか、そこには打たれたくない、負けたくないという意識が働いているのはもちろんのこと、現代の剣道から刀法の意識が薄れてきていることも、大きな要因となっていると思います。
刀法の鉄則は、刃の下に身を置かないことです。刃の下には死が待っている、そこで先達は体さばきを磨き、入り身の技を修得しました。命のやり取りがない現代剣道においては、こういった心がけをしなさいという方が土台無理なことかもしれません。しかし、心がけが難しいということと、刀法を無視していいということは決して同じではないのです。やはり現代剣道にとって刀法は切っても切り離せないものであり、刀法の理解が剣道をまた一つ奥深いものにしてくれます。刀法を勉強し、理にかなった剣道を身につける。その上で入り身の技を体得できれば、攻撃と防御が表裏一体となった剣道が実践でき、ますます剣道の幅が広がっていくものと思います。
師匠の姿を見て学ぶ話
足さばきや体さばきのお話をしていてまず真っ先に思い浮かぶのは、私の師匠である福岡明先生(範士八段)です。福岡先生は修道学院で修業されていた方で、かの有名な高野佐三郎先生の内弟子でもありました。高野先生の家に住み込み、四六時中徹底して鍛えられていたそうです。
私がはじめて福岡先生にご指導をいただいたのは、中学二年生のころだったと思います。そのころの福岡先生はご自宅の庭で地域の剣道家に対して指導をしており、私もその中の一員でありました。
先生の指導は昔ながらの方法で、今のように言葉で伝えるといったようなことはほとんどありません。ただ範を示すだけです。身長は百五十センチ程度と小柄でしたが、その足さばきは実にみごとなものでした。当時の私はまだ剣道をはじめたばかりの未熟者でしたが、子供ながらにも先生の剣道が眼に焼きつき、なんとかまねをしようと試みたものです。
とくにすばらしいと感じていたのは、姿勢の美しさです。大きな相手にもまったくひるむことがなく、蹲踞から立ち上がるとすかさずススッと間を詰めている。つねに足は動いており居着くことがない。それでいて、立ち姿は一切乱れることがないのです。この足の遣い方については、警視庁に入ってからいただいた教えにピンとくるものがありました。
〝剣道の足さばきは白鳥のようでなければいかん〟
白鳥は湖面を静かに移動しているように見えますが、その実、水の中ではせわしなく足を動かしています。剣道においては、足は決して居着くことなく動かししておきながら、上体はぶれることがない。それはまさしく福岡先生の足遣いでありました。幼少のころから先生の姿を見て学んだ私は、いつのころからか先生に似ているとの評価をいただくようになりましたが、指導者として経験を積むにつれて、範を示すことの難しさを感じます。その意味でも、最初の師匠が福岡先生であったことはとても幸運なことでした。
〝動いたらパッ〟の話
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