インタビュー 大学剣道

大学剣道の頂をめざして(筑波大学) 後編

2023年10月16日

2023.3 KENDOJIDAI
構成=寺岡智之
撮影=西口邦彦

名門・筑波大学がひさびさの大学日本一を成し遂げた。主力としてチームを牽引したのは、団体日本一を目指して筑波に集った4年生4名。大平翔士、黒川雄大、重黒木祐介、阿部壮己。彼らが筑波大学で歩んだ4年間と日本一をつかむことのできた理由を、本人たちの言葉で振り返るー。

黒川雄大

くろかわ・ゆうだい/平成12年生まれ、福岡県出身。小学1年時に須恵剣友会で剣道をはじめる。須恵中学校・島原高校出身

阿部壮己

あべ・そうき/平成12年生まれ、兵庫県出身。小学1年時に印南剣道場で剣道をはじめる。加古川中学校・育英高校出身

重黒木祐介

じゅうくろぎ・ゆうすけ/平成12年生まれ、神奈川県出身。4歳の時に矢向剣友会で剣道をはじめる。潮田中学校・九州学院高校出身

大平翔士

おおひら・しょうし/平成12年生まれ、東京都出身。4歳の時に東松舘道場で剣道をはじめる。関中学校・佐野日大高校出身

3年間の努力が結実
それぞれが結果を出した一年

ー3年になり、大学生活も半分が終わりました。そろそろレギュラーに入っておかないと、日本一という目標の達成が厳しくなってくる時期だと思います。

阿部:本当にそうですよね。3年になってからは、選手に入る、そのことばかり考えていました。部内戦でも良い試合ができるようになってきて、それなりの手応えも感じていました。

大平:私も全日本選手権には出場しましたが、まだ筑波大学のレギュラーにはなっていません。まずレギュラーになることが目標でした。

重黒木:筑波大学は、毎年合宿や選手選考試合でレギュラーを決めます。前年は大会がなかったので、みんなが同じスタートラインに立っていたと思います。

黒川:やっぱりレギュラーになりたい。そして定着したいという強い気持ちがありました。

ー春先には久々の学生大会となる関東個人が開催されました。

重黒木:自分はベスト8でした。個人戦の出場がはじめてで、まずは全日本大会の出場権を得たいという思いでした。岩切選手に負けてしまいましたが、ベスト8まで勝ち上がれましたし、全日本にも出られることになったので、それほど落ち込むことはなかったです。

大平:私は1回戦負けでした。全日本学生の出場権を獲れなかったのが悔しくて。このときの敗戦が、大学生活で一番悔しかった瞬間かもしれません。筑波大学の学生として試合に出るのがはじめてで、まだまだ気持ちが弱かった。ただ、その気持ちがあったからこそ、また頑張れたのかなと思います。

ー関東団体はついに、4人がレギュラーとして顔をそろえましたね。そして優勝という結果をつかむこともできました。

阿部:私はやっとつかんだレギュラーでしかも優勝だったので、満足感がありました。

重黒木:もちろん優勝はうれしかったのですが、関東なのでまだ次があるという思いでした。

黒川:同級生で出場したいという思いがありましたし、うれしい気持ちもありましたけど、結局先輩に助けられた大会だったと思います。

ーそれぞれ思うところがあったようですね。そして全日本大会は、国士舘大学に敗れて3位という結果でした。

阿部:全日本に向けて本当に頑張りました。自分たちは道場に住んでいるような生活をしていて、稽古が終わったら大学の外周を走って、さらに坂道ダッシュもやって。吐きそうになりながら頑張った記憶があります。

重黒木:それだけ追い込んでやっていたのは、たぶん自分たちの学年だけだったと思います。1年のときに関東で勝って全日本で負けていたので、今回は全日本でも勝ちたいという一心でした。関東の優勝に満足せずに、もう一段階上げていこうと仲間たちと話していました。

黒川:先輩たちに頼り切りになるのではなく、自分たちの力で日本一になりたいという気持ちも強かったと思います。

大平みんなそんな思いだっただけに、国士舘に負けたときは現実を受け止めきれませんでした。

阿部:今振り返れば、負けたのはそれぞれが〝自分が勝ちたい〟という気持ちが強すぎたからかもしれません。団体戦はつなぐ気持ちが大事になります。それぞれ役割があるにも関わらず、それが実行できなかったというか。

重黒木:チームで勝ちたいというよりも個人で頑張ろうという気持ちだったから、接戦をモノにできなかったのかなと感じています。

ー全日本団体が終わった後、延期になっていた全日本個人が年末に開催されました。その前には全日本選手権もあり、今回は大平選手、黒川選手、阿部選手の3名が出場を決めましたね。

阿部:私は1回戦の相手が竹ノ内佑也選手でした。予選に勝ったときから、せっかく出るなら竹ノ内選手と戦いたいと、まわりに言っていたんです。夢の舞台ですし、有名選手と戦って、勝って名前をあげたいという気持ちでした。そうしたら、本当に竹ノ内選手と戦うことになって。竹ノ内選手はネット上に動画がいっぱいあって研究材料が豊富なので、めちゃくちゃ研究しました。まさか勝てるとは思わなかったですが、とても自信になった大会でした。

大平:自分は2回目の出場だったので、1回目は出られるだけで満足だったんですけど、今回は上を目指したいという気持ちでした。ベスト8で負けてしまいましたが、楽しく戦えた大会でした。

黒川:全日本選手権は本当に夢の舞台で、まさか学生のうちに出られるなんて思ってもいませんでした。あの舞台を踏めたことは本当にうれしかったですし、出るからには日本一になりたいとも思っていました。3回戦で林田選手に負けましたが、私にとって林田選手は高校の先輩でもあり、雲の上の存在です。そんな選手と戦うことができ、しかも自分なりにですが手応えを感じることができた。このとき得た自信がインカレにつながったと思います。

ー全日本個人は黒川選手が優勝、大学日本一に輝きました。この時のみなさんの正直な気持ちを教えてください。

重黒木:この中では私一人だけ、全日本選手権に出ることができませんでした。みんな優秀選手賞をもらうくらい頑張っていて、自分はこの大会で成績を残さないとという気持ちだったのですが、3年間で一番悔しい一日でした。

大平:黒川の優勝は同級生としてうれしかったのですが、自分は関東大会で負けて出場権さえ得ることができていません。その舞台に立てていない悔しさを感じましたね。

阿部:そのときは全剣連の骨太講習会に参加していたのですが、黒川が優勝したという報告を聞いて、自分のことのようにうれしかったです。悔しい思いよりも、自分も負けてられないという気持ちになりました。自分たちはまわりの活躍を原動力にして、ここまで頑張れてこれたのだとも思っています。

黒川:人生ではじめての全国大会での個人優勝でした。3年時は本当に努力した実感があったので、この大会にかけていましたし、そこで優勝できたのは本当にうれしいことでした。

課題だったチームワークの強化
ついにつかんだ大学日本一の栄冠



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