父が映画会社に勤務していた関係で、小さい頃から様々な映画を観てきた。映画業界には「試写会」という制度がある。一般公開に先駆けてまずはスタッフや関係者限定で、仕上がったばかりの映画を見る会である。私は父からの誘いでこの試写会に何度も連れて行ってもらい、「面白かった。」「つまらなかった。」などの素直な意見を述べたものだ。そんな父がある日、是非観るべきだと勧めてくれた映画があった。『フィールドオブドリームス』。みなさんはこの映画をご存知だろうか?
阿部晶人
あべ・あきひと/昭和49年大阪府生まれ。慶應義塾大学福本修二ゼミに在籍時に世界初といわれる剣道のホ ームページ(www.isenokami.com)を制作。㈱電通、オグルヴィ・ワン・ジャパン㈱を経て現在、面白法人カヤックに勤務。インターネットを中心とした広告クリエイティブ開発やキャンペーン企画立案に携わる。国内外のアワードを受賞多数。1997年より全日本剣道連盟情報システム委員。剣道三段。TwitterアカウントはAkihito_ABE。
『フィールドオブドリームス』
「それを作れば、彼は来る。」
映画「フィールドオブドリームス」には、この謎めいた言葉が繰り返し登場する。アイオワの田舎町に住む主人公レイは、ある日トウモロコシ畑の真ん中に野球場を作るよう啓示を受ける。周囲の人々には当然理解されず、財産を失う危機に陥りながらも、彼は信念を貫いて野球場を完成させる。すると、かつての名選手たちがトウモロコシ畑の合間から次々に姿を現し、フィールドは奇跡の舞台となる。やがて選手たちはまたトウモロコシの合間へと消えてゆき、最後に残ったキャッチャーがマスクを脱ぐと、それは喧嘩別れした父の若い姿。息子と父が無言でキャッチボールをするシーンでこの映画は終わる。
「ありえない」と笑われても、人は本気で夢を追い続けた時、それを現実のものとすることができる。そんなことを教えてくれる心温まるファンタジー映画であった。
とはいえ、本気で夢を追い続け、実現することは本当に難しいものだ。私もいつかこの映画の主人公レイのように、私財を投げ打って剣道愛好家が全国から集まる道場を作りたいと思い続けているものの、まず私財が一向に集まらないので計画は遅々として進んでいない。そんな折、夢がかたちになったような道場が岐阜にあると聞きつけ、早速見学させてもらいに伺った。
「漱玉館」を訪ねる
私が尋ねたのは、岐阜県可児市にある剣道場「漱玉館(そうぎょくかん)」。この道場で剣技や人間を「磨く」、つまり「玉を漱(すす)ぐ」ことを願って付けられた名前だという。2021年竣工。東海地方を中心にスーパーマーケットチェーンや、ドラッグストア、フィットネス ジムなどを展開するバローホールディングスの研修施設「嫩葉舎(どんようしゃ)」のすぐ隣に建てられた。案内してくださったのはバロー剣道部監督の久木原裕二さん。以前は東洋水産で実業団剣士として活躍していたので名前を聞いたことがある方も多いはずだ。久木原さんは「漱玉館」の竣工時に訪れ、道場が醸し出すただならぬ雰囲気を感じ取ってバローに転職を決めたのだという。気さくでありながらも剣道への熱い想いを持った方であった。バローの研修施設「嫩葉舎」に車を停めて、2人で「漱玉館」へと歩く。隣接しているので、時間にすればほんの1、2分程度であるが、道場へ至る道がすでに素晴らしい。傾斜面に作られた曲がりくねった道の両脇には様々な植物が植えられており、四季折々の岐阜を楽しめる。この道すがら、心を落ち着かせて剣道への気構えを整えることができる。
やがて見えてきたその外観は荘厳そのもの。石垣を積んだ土台にたたずむ純和風の道場は2021年に作られたとは思えない風格を湛えていた。玄関の門をくぐると、左右は一面の苔。左手奥には石垣で作られた滝があり、この道場名に込められた想いを伝えている。また入り口に子供の背丈ほどもある大きな甕(かめ)が置いてあった。これは一体何なのだろうか?ともかく、玄関前で早くも圧倒されつつ、いよいよ中へ入る。
木の温もりと甕(かめ)
「漱玉館」に一歩足を踏み入れると、まず感じられるのは圧倒的な木の温もりだ。そこかしこに上質な木材が使われており、竣工後数年経った現在でも木の香りが漂っている。床は厚さミリの秋田杉が使われており、適度なやわらかさが足腰への負担を減らしてくれる。そしてこの床のさらに下に驚きの仕掛けが備わっていた。玄関に置いてあった巨大な甕が、床下に口を上にして個埋められているのだという。能舞台などにも使われる技法なのだが、この甕が踏み込み足の音に程よい残響効果を与えてくれるのだ。実際に踏み込んでみたが、確かに音が全く違う。試合場は2面作ることができる広さを持ち、さらに片側には畳敷の観客席も備え付けられていた。シャワー室や更衣室も男女それぞれ用意されているので設備面も完璧である。内部の素晴らしさに圧倒されて少し頭を冷やそうと外へ出たところ、そこから見える景色にも圧倒された。清水寺の舞台にいるかのように、美しい岐阜の山々を見渡すことができるのである。

合宿に最適
「漱玉館」は先述の通り、バローの研修施設「嫩葉舎(どんようしゃ)」に隣接して建てられている。嫩葉舎は、事前に予約が必要だが剣道関係者であれば宿泊が可能だ。畳敷きの大部屋やホテルのような洋室もあるため、規模やニーズに合わせて選べる。併設されている従業員食堂は近隣の市民にも開放しており、スーパーマーケットを運営するバローならではの美味しいビュッフェが人気なのだそうだ。つまり「漱玉館」と「嫩葉舎」があれば、純日本風の本格道場での剣道合宿ができる。海外の剣道愛好会や各国代表チームは、ここが最適の合宿地になるのではないだろうか?
それにしても、誰がこのような道場を作ろうと思ったのだろうか?
設立の想い
「漱玉館」はバローホールディングス会長である田代正美氏と、公益財団法人伊藤青少年育成奨学会の田代久美子理事長(田代会長の奥様)の想いがかたちとなったものである。
田代氏は歳の時に、ある新聞記事で歳の女性が剣道で初段に合格した旨を読み、興味をもって自分でも剣道を始めた。そこから剣道の魅力に目覚め、現在でも週2回のペースで稽古を続けているそうだ。武道を修めることによって、精神が晴れやかになり生き方が腑に落ちるというような、良き日本のこころをたずねるために、この漱玉館は生まれた。漱玉館は水が玉を磨くこと、なお隣接する「嫩葉舎」の嫩葉とは植物の双葉のことを指す。人材の育成や人間形成にいかに情熱を注いでいるかがわかる名称と言える。
「それを作れば、剣士は来る」
田代氏の想いがかたちになった漱玉館には、今、多くの剣士たちが足を運ぶ。そこには、剣道を愛する者たちが真剣に稽古をし、己の剣を磨く姿がある。映画「フィールド・オブ・ドリームス」では、主人公が作った野球場に、過去の名選手たちが集う。漱玉館もまた、剣を志す者たちが集う場所となった。
夢は、人を動かす。信念によって生まれた漱玉館は、これからも剣士たちの「理想の道場」として、その場に立つ者の心を奮い立たせ続けることだろう。
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