2013.1 KENDOJIDAI
取材・文=栁田直子
日本では、小学生から大学生まで幅広い世代が剣道に取り組んでいます。さらに社会人や警察の剣道も盛んで、年間を通してさまざまな大会が開催されています。
今回の記事では、過去のバックナンバーの中から、2013年に行われた実業団剣士・大亀健太選手へのインタビューを紹介します。
幼い頃から常に第一線で活躍し、リーダーシップを発揮してきた大亀選手。当時、どのような心構えで剣道に臨んでいたのでしょうか。
大亀健太

おおがめ・けんた/昭和61年愛媛県生まれ。愛媛・成武舘道場で竹刀を握る。福大大濠高から中央大に進み、卒業後、平成20年にパナソニック電工に入社。全日本実業団大会では入社1年目から本社チームに抜擢、2位、優勝、3位、優勝と4年連続で好結果に貢献。
決意の全日本実業団大会
平成24年9月、全日本実業団大会で若きエースが開眼。入社4年目の大亀健太選手が獅子奮迅の活躍で最優秀選手に輝くと同時に、パナソニック㈱エコソリューションズ社2年ぶりの日本一に貢献した。
「私は今回、はじめて中堅で出場しました。3年間先鋒でしたが、滝崎(亮一・2年前の優勝メンバー)さんが海外転勤で抜けて、自分から志願をして中堅を引き受けました」
パナソニックに入社後、初めてのポジション。不安もあったが、支えてくれたのは仲間たちだ。彼らを心底信頼し「一緒に優勝したい」と思っていたからこそ、存分に戦う事が出来た。
「今まで自分がつとめていた先鋒には高優司(入社1年目・中央大の後輩)が入ってくれました。次鋒、副将、大将には信頼する先輩方がいます。ですから、安心して試合することができました」
実は、9月に行なった関東遠征の練習試合では思うような試合展開にいかなかったのだという。大亀選手自身は遠征に参加しなかったが、結果を聞いて「俺がやらないと」という気持ちにさせられ、より日本一、チームへの思いが強くなった。全日本実業団大会では、動きのキレが抜群だった。「当日はみんな動きがよかったですね。ヤマになったのは準々決勝の富士ゼロックス東京戦だと思います。この日はじめて負け越した状態で私に回ってきたんです。『みんなと日本一になりたい。ここでは絶対に負けられない。俺がとる』と、腹をくくりました」
自分がいくしかないと言い聞かせて勝負を挑んだ。結果小手と面の二本勝ち。この勝利で波に乗った。決勝戦は、前回王者の東洋水産(本社)と対戦。1―1の同点で回った中堅戦。ポイントゲッター同士の対戦となったが、相手が引いたところを詰めて小手。この一本で流れがパナソニックへと傾く。副将・植田桂介選手、大将・勝見健太選手が手堅く引き分け、パナソニックES本社2年ぶり3回目の優勝が決まった。
「優勝が決まったときほっとしました。この仲間とやってきたことは間違いじゃなかったってこと 試合が終わった後、8歳下の妹・杏さん(守谷高校3年・インターハイ団体優勝)が、駆け寄ってきた。感動で泣きじゃくる妹の頭を優しくなでてやりながら「よかった」と実感した。
「今回、優勝させていただきましたが、来年はどうなるかわかりません。2連覇に向けて作り直していきたいです」
最高のチームで日本一をめざす
大亀選手が所属する実業団の最強集団・パナソニックES社剣道部は植田桂介選手、勝見健太選手ら学生時代から全国クラスで活躍してきた強豪選手を中心に、30名を超える部員が鎬を削っている。その中で、入社1年目から本社チームで活躍する大亀選手。稽古は基本的に週に3回。限りのある時間の中で、居残り練習や自主練習を重ねたほか、試合前は有志で朝練習に取り組んできた。
Aチームといわれる本社チームで選手の座をつかみ続けるために、質の高い稽古を心がけている。「道場には長榮周作顧問(教士七段)が書いて下さった『正しい剣道』という書が飾ってあります。正しい剣道で、基本に忠実な剣道をめざしています」
正しい剣道のイメージの一つとして、構えを崩さず、打つことに逸らずぐっと我慢をするように心がけている。
「自分の中にも『綺麗な剣道で勝ちたい』っていうのがありますし、こういうことをめざす剣道部でもあります。高校・大学時代とくらべぐっと稽古量が減りましたので、1回の稽古でどれだけ求められるかが勝負だと思います。その日の練習で、充実感があるか気をつけています」
攻め合いの稽古をしていると、「構えがこうなっているよ」などと、チームメイトたちが声をかけてくれる。
「こうして積極的に言い合う空気があるのはありがたいですね。一回一回が勉強です。『少しでも面をかぶりたい』と、15分だけ稽古にきて戻るという人もいるんです。お互いライバルでもありますが、尊敬し合う間柄でもあります」
仲間の存在が、大亀選手のモチベーションをあげている。
「先輩・後輩の垣根なく、飲み会でもあつく語り合います。実は、今回のチーム(今回全日本実業団大会で優勝した本社チーム)のメンバーは、みんなどこかで繋がっているんです」
先鋒の高選手は中央大の後輩。次鋒の中野寛之選手は出身道場・愛媛県の成武舘道場の先輩であり、中野選手の父・善文舘長に剣の手ほどきを受けた縁がある。
また、大亀選手は小学6年生の時に全道連主催の全日本選抜少年個人錬成大会で日本一に輝いているが、同じ日、中学生の部で優勝したのが勝見選手(福田道場)。さらに、3年後大亀選手は中学生の部でふたたび日本一を手にするが、その時の小学生の部優勝者が、高選手(竹の子剣道クラブ)だった。ちなみに、植田選手と勝見選手は同じ岡山県出身で、岡山朝日高校、同志社大学と進路も同じ。勝見選手の妻・早紀さんは植田選手の実の妹にあたる。
勝見選手の弟、洋介さん(神奈川県警)とは幼い頃からのライバル。世界選手権で優勝した洋介さんを、今は目標としている。
「試合当日は洋介が見に来ていたので、絶対に負けたくなかった。子どものころからの縁なんです。信頼関係がどのチームよりも深いと自負しています(笑)」
「日本一にならないか」
実業団への道を決めた熱い一言
大亀選手は昭和61年、愛媛県に生まれた。四人兄弟の三番目。長兄の影響で、3歳から剣道をはじめた。創立間もない成武舘に入門、週5回の練習で鍛えられた。
「面をつけたまま寝ていた子どもだったそうです(笑)。すぐにぐずっていて、道場と同じマンションに住んでいた中野善文先生のお宅に入り浸って、よくご飯をごちそうになっていました。しかし、道場では毎年皆勤賞でしたよ」
現在の活躍からすれば意外とも言える一面だが、小学2年生の夏、神武館旗争奪少年個人選手権大会(学年別)で優勝したことがきっかけで、指導も厳しさを増していく。そして、小学6年生、中学3年生で全日本選抜少年個人錬成大会優勝。さらなる飛躍を求めて、福岡・福大大濠高校へと進学する。
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