2023.7 KENDOJIDAI
取材・構成=山崎永美子
田原弘徳
剣道における基本重視は永遠不滅
今年は皇紀二千六百八十三年。初代天皇である神武天皇が橿原の宮で即位してから、私達の祖先は自然界と共存しながら、今日の素晴らしい伝統文化を育んできました。「日本伝統文化の最たる剣道」も歴史を重ねるごとに苦難を乗り越え、隆盛を極めてきました。先人の長きに渡る熱き想いに思いを馳せるたびに、我々はその伝統を正しく伝承しなければならないと、改めて身が引き締まる思いに駆られます。
戦後に復活した剣道ですが、それ以降に最も変わった点は「自身を錬る剣道」から「試合中心の当てる剣道」へと解釈が変わってきたことではないでしょうか。実際、表現方法も「稽古」から「練習」へ、「道場」から「体育館」へと変化していきました。
しかし、剣道時代等の書誌で諸先生方のご指導を拝読すると、皆さん剣道を習う上で最も大切なことは「基本」であると仰っていて安心します。基本とは数学ならば公式、国語ならば文法、囲碁ならば定石のようなものです。生活全般に通じるものと言っても過言ではないでしょう。無論、剣道を学ぶ者にとっても、基本を守り、身に付けるということは極めて大切なことです。技術の上達に繋がるのは勿論のこと、あくなき精神の向上にも関係します。しかも剣道の修行は一生続くものです。生涯剣道を通じて常に上を見据えるならば、より一層基本的なものを重視して精進する必要があるのです。
私は戦後復活剣道の四回生。「剣道の基本」について初めて耳にしたのが昭和三十三年の警視庁奉職後の警察学校の剣道授業でした。このときの「基本」が私の剣道の礎となっていることは間違いようのない事実です。
長い警視庁剣道の歴史の中で、基本を制定し、稽古法を統一したのは大正七年八月一日のことです。あの中山博道先生が作られました。以来、この教本を元に稽古に励んできたわけですが、より一層の錬磨と精神の高揚を図るために、その十九年後に当たる昭和十年五月に警視庁の剣道修行上の憲法とも言うべき「警視庁剣道基本」が制定されました。
その後、敗戦の危機に剣道の受難期を迎え、この基本も自然淘汰されていきましたが、一方でその内容は一脈をたどって受け継がれ、さらに二十年後の昭和三十六年に制定された「警視庁警察教養規定の制定について」の中で明文化されます。最終的に昭和四十三年に「警視庁剣道基本」が『警視庁剣道教本』として編集され今日に至っています。武道禁止令が解かれた昭和二十七年からの剣道は、大転換期を迎えました。「変わる事」は自然の流れです。しかし、その「心」は変わるものではないと思います。「変わってはいけない」という強い意志から、先人、全日本剣道連盟は昭和五十年に「剣道理念」を制定します。「剣道は武道」と明確に捉え、「剣道の心は永遠なり」という思いを込めたと私は理解しています。
孔子の教えから学ぶ剣道の心構え
唐突ですが、孔子の「真、善、美、聖、用、健」という教えをご存じでしょうか。
「真」とは誠の心、真剣な心です。何事も成就させるためには、この基本的な姿勢が大切であることは申すまでもありません。剣道でも真剣な修行態度があってこそ目標に近付くことができ、精神的な価値を得ることも可能になります。
「善」は素直な心を意味します。他人の教えにしっかりと耳を傾け、守り、感謝の念を以て精進することです。
「美」とは清々しく、美しさを感じさせること。「聖」は知恵、即ち物事をよく考える力や工夫、研究の大切さを示します。
「用」は動作の敏捷性、積極的な行動を指すのと同時に、これらの鍛錬を意味します。良い師について原理を習い、工夫を怠らずに鍛錬することで、心と技術の向上が加速します。このことを柳生流では『三磨の位』と呼んでいます。
最後の「健」ですが、これは健康で溌剌としていて、精気に満ちているという様子のことです。古来より、「健全な身体に健全な精神が宿る」という言葉があるように、健康は全ての基礎となります。これらの教えは、剣道を志す者の基本的な心構えに通じると思います。
一心不乱に道を究めること
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