※この記事は『剣道時代 2017年8月号』に掲載されたものです。
第15 回全日本選抜剣道八段優勝大会は宮崎正裕教士が大会史上初の連覇を成し遂げた。全日本剣道選手権大会、全国警察選手権大会、全日本選抜剣道七段選手権大会など常に時代の覇者であり続けた宮崎教士、神奈川県警察剣道首席師範となった現在も欠かさないのは基本稽古の徹底だった。
宮崎正裕( みやざき・まさひろ)
昭和38年神奈川県生まれ。東海大相模高校卒業後、神奈川県警察に奉職。全日本選手権大会優勝6回、世界大会団体優勝4回・個人優勝、全国警察官大会団体優勝2回・個人優勝6回、寬仁親王杯八段選抜大会優勝、全日本選抜剣道七段選手権大会優勝7回などあらゆる大会で頂点に立つ。本年4月、全日本選抜剣道八段優勝大会で大会史上初の連覇を遂げた。剣道教士八段。現在、神奈川県警察首席師範。
ありがたかった指導陣・特練の気づかい
―大会史上初の連覇おめでとうございました。改めて2連覇という結果をどう受け止めていますか?
「優勝は目標にしていましたが、出場させていただくことが光栄です。連覇に関してそれほど意識はしていませんでした。八段戦は予選がなく、選抜です。大会に選んでいただいたことに大きな喜びを感じていました」
―選ばれたことに価値があるのですね。
「八段取得から5年という選考基準があると聞いていますので、そのことに重みを感じています。選んでいただいたからには勝ち負け以上に、自己調整して最高の状態で出場することが義務だと考えていました」
―出場依頼は年明けですか?
「そうです。選んでいただいたからには、しっかり稽古をして身体を作って臨もうと強く思っていました」
―「身体を作る」というキーワードが出ましたが、具体的にはどのようなことをされましたか。
「自分を追い込む稽古を重ねますが、そのなかでも怪我をしないことが重要です。自己管理ということです。現役時代もそうでしたが、出場するからには精一杯の試合をすることを心がけています。稽古だけでなく、私生活でも健康管理を重視します。健康管理をした上であとは稽古を積むのみです。とくに私の場合、職場に特練員がいるので稽古環境は申し分ありません」
―ご自身が特練員だった時は、試合で結果を残すことがなによりも重要だったと思いますが、今は首席師範という指導者という立場なので選手の育成とご自身の稽古との兼ね合いはどのようなものだったのでしょうか?
「ありがたかったのは監督、コーチ、特練員が口には出しませんが、目に見えない部分で気づかってくれ、稽古メニューも私のために組み替えたこともあったはずです。そういった気づかいや雰囲気を充分に感じました。試合当日もわざわざ神奈川から名古屋まで応援に来てくれました。本当に感謝の気持ちで一杯です」
―どのような稽古内容だったのでしょうか。
「打ち込み稽古から入れてもらいました。特練員と同じようにはいきませんが、その仲間に入れてもらい基本を繰り返しました。休憩を入れたあとは通常の指導稽古です。指導稽古ではありますが、受けて立つようなことはせず、互格稽古のつもりで取り組み、身体が動く限りは続けていました。疲れを残してはいけないので、どこでやめれば良いのかは自分の身体と相談して決めるしかないのですが、稽古を中止するタイミングは本当に難し
いです」
―八段戦をとくに意識した調整稽古はいつ頃から始めたのでしょうか。
「3日前までは通常通り行ない、その後は疲れが残らない程度の調整稽古に切り替えました」
いけると感じたところで身体が動くか
―八段戦は試合前日から現地に入ったと思うのですが、試合当日はどのような最終調整を心掛けたのでしょうか。
「現役時代と一緒です。宿舎で朝食を摂り、試合中は水分摂取のみです」
―試合に対する取り組み方は現役時代と今回とでは変わりましたか?
「ほとんど変わりません。試合開始時刻に合わせてウォーミングアップをするのですが、今回は1回戦が後半だったので、開会式後に面をつけて行ないました」
―1回戦の相手は山中洋介選手(鳥取)でした。延長を含め17分にも及ぶ接戦でした。
「私が心掛けたのは『いける』と思ったところで身体が動いてほしいということでした。自分の意識と身体が同じように動いてくれればいいと考え、そこで躊躇してしまうと迷いが生じてしまいます。対戦相手の山中先生の研究もしましたが、イメージと実際にお願いするのでは違いました。とにかく懐が広くて前に出ても届きませんでした。一本取ったあと、面を返されました。その後、延長戦となり、攻め合いから小手を決めることができま
した。落ち着きのない試合だったかもしれませんが、身体が無意識に反応しました」
―2回戦まで約1時間の空き時間がありました。
「身体が硬くならないように注意していました。2回戦からは試合時間を逆算して水分を摂るようにしていました。勝ち進んでいくと次の試合までの時間が短くなりますので、そのタイミングには注意していました」
―休憩は控え室ですか。
「はい。身体を緩ませすぎてもいけないので、動いたら休む、動いたら休むといった動作を繰り返していました。稽古着は着けたまま、胴と垂れも着けたままでした。今回は胴と垂れはウォーミングアップの時から閉会式が終わるまで一度もはずしませんでした。控え室には椅子があるので胴と垂れを着けたまま座って休んでいました。個人戦のときはだいたいつけたままです。団体戦のときはチーム行動ですので、状況に応じて合わせるよ
うにしています」
―2回戦まで約1時間の空き時間がありました。
「身体が硬くならないように注意していました。2回戦からは試合時間を逆算して水分を摂るようにしていました。勝ち進んでいくと次の試合までの時間が短くなりますので、そのタイミングには注意していました」
―休憩は控え室ですか。
「はい。身体を緩ませすぎてもいけないので、動いたら休む、動いたら休むといった動作を繰り返していました。稽古着は着けたまま、胴と垂れも着けたままでした。今回は胴と垂れはウォーミングアップの時から閉会式が終わるまで一度もはずしませんでした。控え室には椅子があるので胴と垂れを着けたまま座って休んでいました。個人戦のときはだいたいつけたままです。団体戦のときはチーム行動ですので、状況に応じて合わせるよ
うにしています」
―2回戦は地元愛知の山﨑尚選手でした。
「山﨑先生とは警察大会でも対戦しています。山﨑先生の気迫の剣道に負けないように先の気持ちで臨みました」
―その気持ちが有効打突につながったように感じました。
「一本目の面、二本目の小手も自然に身体が動いた感じです。とくに二本目の小手は狙ったのではなく、稽古で心掛けてきたことが自然に出たと思っています」
―3回戦の古川和男選手(北海道)と試合をするのは初めてでしょうか。
「公式戦では初めてです。年齢が8歳違います。私が高校時代、日本武道館に全日本剣道選手権大会を見に行ったとき、古川先生は試合に出場されていました。東海大相模高校の恩師木田誠一先生が古川先生と、その大会で優勝した外山光利先生が同級生であることから応援した記憶があります。古川先生は東海大相模にも来てくださったことがあり、稽古もつけていただいています。雲の上のような存在でした。そのような先生と試合をする
とは夢にも思っていませんでした」
―剣を交えたときの印象を教えてください。
「打ちの強さを感じました。担ぎ小手の威力がすさまじく、受けることが精いっぱいでした。できることは前へ出るだけ。退いたら打たれると感じました。出ばな面を打ったあとの引き面で勝つことができましたが、あの試合は稽古をつけていただいたような印象です。昨年は石塚美文先生(大阪)と亀井徹先生(熊本)と試合をさせていただきましたが、範士の先生方との試合はなにかが違いました。言葉では表現しきれませんが、風格が
違うような気がしました」
石橋を叩いても渡らない
―次は準決勝です。ここからは試合と試合の間隔がさらに短くなります。
「その通りです。疲れを感じたときは『出場選手のなかで自分は若い。他の先生方はもっと疲れて いる』と言い聞かせました」
―準決勝は石田利也選手(東京)、2年ぶりの対戦となりました。対策はあったのでしょうか。
「作戦はないですよ。石田先生の剣道でいつも感じるのは、『そこにいたら打たれる』という恐怖 心です。がっぷり攻め合うことをしたいのですが、とにかく強いし、途中の瞬間、瞬間の動作が速すぎて間合が詰められないのです。あともう少し入りたいのですが、入れません。見ている人にはわからないかもしれませんが、『入ったらやられる』という怖さがあるのです。そのやりとりの中で有効打突は身体が反応してくれました。苦しい打ち方だったと思うのですが、無意識に出た返し面でした。その後は攻め込まれている場面ばかりで気がついたら
10 分たっていました」
―先行してからの状況はどうでしたか。
「とても疲れました。それだけ10分間集中できたのかもしれません。現役時代から何度も試合をさせていただいていますが、対峙すると石田先生はとてつもなく大きく見えます。大きな壁が迫ってくるような印象です。だから試合内容は負けているけど勝たせていただいたと思っています。勝った実感がありませんでした」
―5分後には決勝戦が控えていました。
「準決勝の第二試合でしたので、それは心得ていました。運命であり、現在置かれている状況や立場に関しては素直に受け入れ、常にプラス思考でとらえるようにしています」
―では試合内容に関しては最悪を想定していますか?
「それはありますね。何も浮かばない時は出たとこ勝負ですが、普段は石橋を叩いて渡るというか、叩いても渡らない時もありますね。嫌な予感というか、『いける』と感じてもそれだけでいってもうまくいかないときもあります」
―改めて谷勝彦選手(群馬)との決勝戦を振り返ってください。
「谷先生と何度か試合をさせていただいています。対戦前のイメージとしては、谷先生も懐が広いです。私は決勝に関しては、前に出て自分の剣道を出していこうと考えていました。先輩であり優勝経験者なので、私は胸を借りるつもりで前に出ました。でも余裕でさばかれていましたね。とにかく中心から竹刀が外れません。『これでどうだ』と技を出しても紙一重のところでさばかれていましたので、打つ手がなくなってきていました。最後は思い切って手を出したら、相面という形で技が決まりました。閉会式のあと谷先生をはじめたくさんの先生方から『おめでとう』と声をかけてくださったことが嬉しかったです」
―今回、2連覇という偉業を遂げましたが、対戦相手が宮崎選手のことをとても研究しているように感じました。
「それはないと思いますよ。みなさんもともと強い方ばかりです。現役時代は研究されているという印象を受けることもありますが、後輩である私を研究しているとは考えにくいです。私自身、優勝という結果は出来すぎだと思います。運が良かった、実力以上のものが出せたに尽きると思います。色々な要素に助けられて勝てたと思いますので、相手が研究をしたかどうか自分自身ではあまり感じません。もし、私が攻めあぐんでいたのであれば、単に自分の実力不足です。自分の剣道を出し切ったつもりですが、先生方の攻めの強さや懐の広さ、風格などを肌で感じることができました。剣風の違いもありますが、私はまだまだそこまで達していません。若さと勢いに任せた剣道を続けていると思いますので、もう少し重みのある剣道をすることが、自分の目標です。それは試合という場面で表現していくのはなかなか難しいです」
―「若さ」と「勢い」の優勝ですか?
「自分の剣道を今大会で振り返ると、まだまだ若さと勢いでやっている感じがします。もっと重みのある先輩方、範士の先生らが実践されているような剣道をするのが目標ですね。試合を振り返ると、自分自身で精いっぱい出し切ったことは確かです。あとは先生方の指導を素直に聞いて取り組んでいくことです。優勝したことは大満足です。ただし課題もたくさんあります。その課題を目標として来年以降もがんばりたいです。課題があるからがんばれます。まだまだ物足りなさが自分の中にあるので、それを埋めるために稽古して来年に臨みたいです」
基本に帰る時間を大切にする
―稽古について、ここ数年取り組んでいること、 心がけていることを教えていただけますか。
「指導者になると指導稽古が多くなるので、いわゆる基本の打ち込みを意識的に取り組みたいと考えています。短い時間ですが、面をつけて集中して行なうようにしています。稽古では相手を打とうという気持ちが強くなることもあり、体勢が崩れることもあります。基本稽古の時に正しい打ち方をしっかり身体に染みつけておいて稽古で出すという手順を踏むようにしています。基本に帰る時間を大切にして自分を修正する時間が打ち込みだと思っていますので、それを心がけています。昨日、一昨日と特練員を相手に午後の指導稽古の前に行ないましたが、結構きつかったです。その後、40分の指導稽古でしたが、身体がきつくて30分で面をとりました(笑)」
―基本稽古は特練員と一緒に行なうのですか。
「そうです。たとえ師範でも特練の稽古ですので、監督の許可をとり、特練コーチの号令のもとに相手を変えながら行なっています。特練員は色々なタイプがいますので勉強になります」
―根底にあるのは、基本で染みつけたものしか応用である試合や互格稽古で出すことができないという考えがあるからでしょうか。
「そうですね。私自身、現役時代より基本にかける時間が圧倒的に少なくなっているので意識的に基本を行なうようにしています。稽古はどうしても『打ちたい、打たれたくない』という気持ちが生まれます。基本から外れる部分が出るので、常に基本打ちを意識して行なうのです。若い頃は基本と応用なら応用を多く行なうほうが試合に勝てると思うことがありましたが、今になると応用技ができても基本通りの打ちができなくなってきます。最短距離で中心を攻めて打つのではなく、ごまかした感じでしか打てなくなってくるのです。だから中心を攻めて最速最短距離で打つためには基本打ちを日々実践することが大切になると考えています。左足を軸足として右手と右足が動いてパーンと打つことを目標としています。これは日頃から続けていないとやがてできなくなると思います。若い頃は基本より応用のほうが実戦的と思っていましたが、いまは違いますね」
―素振りも特練員と一緒に行なっているとお聞きしています。
「素振りは30本の時と50本の時があります。すべて一緒に行なうようにしています。特練員の速さで跳躍素振りをするとついていくのがやっとです。ですが、やらなくなったらもっとついていけなくなると思うので必死に取り組んでいます」
―現在、神奈川県警察では首席師範として特練員を全国大会優勝に導く立場であり、世界大会においては日本女子代表の監督として世界大会に向けて世界一をめざして邁進していますが、指導者としての今後の抱負をおうかがいしたいです。
「神奈川県警では総括という立場ですが、監督やコーチを補佐する形で見守りながらワンポイント指導を行なうようにしています。女子代表の監督としては責務を全うできるよう全力を尽くすのみです」
―最後になりますが、来年の八段戦に向けて抱負をお願いします。
「出場できることを光栄に思い、一所懸命がんばるだけです。そのためにベストなコンディションを作ることが勝敗以上に大切だと思っています。しっかり稽古を積み、自分のベストの剣道をしたいと思います」
―本日はありがとうございました。
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