インタビュー 全日本剣道選手権大会

【全日本選手権優勝インタビュー】星子啓太

2022年5月2日

KENDOJIDAI 2022.2

撮影=笹井タカマサ

2018年、第17回世界剣道選手権大会に最年少20歳で選出。韓国との決勝戦にも起用された星子選手。全日本選手権は2回目の出場で見事日本一の座を手にした。「夢は全日本3連覇」と公言する星子啓太四段はどんな剣士か。

星子啓太

ほしこ・けいた/平成10年鹿児島県姶良市生まれ。重富剣道スポーツ少年団・吉野剣道スポーツ少年団で剣道を学び、重富中、九州学院高、筑波大に進む。少年時代から現在まで、全国道場少年大会個人2位、全中個人ベスト8、インターハイ団体優勝・個人優勝、全日本学生大会団体優勝・個人優勝、世界大会団体優勝と、同世代の若い剣士たちをけん引する存在だった。全日本選手権は前回初出場3位、そして今回初の天皇杯を手にした。剣道四段

​​大真面目に追い続けた十年
ついに天皇杯を手にした

 子どもの頃、一度は「全日本選手権で優勝したい」と考えた時期があった方、天皇杯をもった選手にあこがれた方は多いと思う。星子選手もその一人だったが、子どもの頃から本気で全日本選手権で優勝することを考えていたという。

 子どもの夢と嗤うなかれ。これは星子選手にとって大真面目な目標でもあった。

「まだ小学1、2年生の頃だったと思います。全日本選手権があり、宮崎正裕先生が6回も優勝していることを知りました。『それじゃあ、誰もまだしていないことをしたい』と考え、それで『3連覇をしたい』という目標を立てました」

 小学生から大学生まで、その都度優勝という目標を立てて剣の道にまい進してきた。高校時代にはインターハイ団体優勝・個人優勝、大学生になると世界大会団体優勝など大きく飛躍した。しかしそれらの大会は、星子選手にとってすべて通過点だった。

「(今回の優勝について)周りの方々から『若いのにすごいね』と言っていただけることはとても光栄なのですが、自分自身の中では全日本選手権は年来の目標であり、その気持ちの強さは他の選手にも負けていなかったのかなと思います」

 ずっと追い続けたからこそ、20歳で出場資格を得たときに予選を勝ち上がれなかったことや、前回松﨑賢士郎選手に敗れ3位に終わったことなどは、言い表せない悔しさで一杯になるほどだった。

 だからこそ、今年に賭ける思いが強かったという。

「前回が本気でなかった、というわけではありませんが、今回の大会にかけた意気込みや稽古、体づくりなどはいつもと違ったと思います」

「ここまでやってきた」と思えるほど自分を追い込み、当日を迎えた。

「今回に関しては、前回大会の反省のひとつとして、試合時間が長引きすぎたのがあったと思いました。そこで時間内で自分の剣道を出していくことを意識したのですが、1回戦では守り中心になったところがありました。しかしその後は取り組んできたところが生きたと思います」

 1回戦、広島大3年の加藤竜成選手(鳥取)と対戦、延長戦直後にメンを決めて勝利した。その後、愛知県警・久田松雄一郎選手(愛知)、筑波大の後輩・阿部壮己選手(兵庫)、埼玉県警のエース・足立柳次選手(埼玉)、今回初入賞を果たした神奈川県警・村山仁選手(神奈川)を破った。

 決勝戦の相手は、筑波大の先輩にあたる林田匡平選手(福井)。林田選手は星子選手と同じく前回3位、動きのキレから見ても、星子選手と同じく「今年こそ」の思いであっただろう。

「高校生の時、全剣連の強化訓練講習会で一緒に稽古させていただいていて、世界大会でも竹ノ内先輩・林田先輩は一番年が近く、すごくお世話になった先輩です。ですから胸を借りるつもりで挑みました」

 林田選手は百戦鍊磨の強豪。構え合った時、「小手が当たらない」と直感した。

「小手が当たらないと感じたので、違う手段を模索していました。(一本目の面の場面について)あの瞬間はとっさに技が出ました」

 遠間からツ、ツ、と間合を詰めた星子選手に対し、グッと圧力をかける林田選手。両者が意を決しほぼ同時に面に跳び出した。旗三本。勝負をためらわず、一気に打ち抜いた。

 決まった場面について、香田郡秀先生(筑波大学教授)からは「あの面は林田が真っ向勝負をしたから決まったんだ」と教えられたという。

「お互い、逃げることなく真っ直ぐいけたところの僅差だったわけで、私のほうが決まったのはほぼ偶然だと思います。もし、少しでもためらえば私のほうが負けていたでしょう」

 二本目の面は、それから二分弱ほど経ったころ。互いに中段の構えからツツツ、と星子選手が攻めた一瞬、小手を攻めた。

「(一本目の面が決まってから)体力には自信があったので守り切れるのではと思いましたが、そのことが胸をかすめてから『日本一』がすごく頭でちらついてしまって。『それじゃあだめだ、前に出続けよう』と。ただ、雑になってはいけないので、チャンスの糸口を探っていたのですが、そこで小手にいったときにいつもとちがうさばき方、剣先を下げて後ろに反ったのが見えました。『いけるかもしれない』と思い切り跳び込みました」

 二本勝ちというこれ以上ない結果に終わった。

 長年の目標であった優勝が現実となった瞬間は、どのような思いだったのであろうか。

「やっと日本一になれた、とうれしかったです。試合場から離れて面を取るという時になって、たまたま米田敏郎先生(九州学院時代の恩師)が見えて、大きく頷いてくださっていました。先生の姿が見えて、はじめて『ああ、終わったんだな』と思いました」

 ひたむきにめざしてきた優勝。これ以上ない結果となった。が、優勝してよかった、だけでは終わらないようだ。

「実際になってみると、うれしいのと同時に、意外と次を見据えてしまうんです。自然と、『ここでしっかりしないと』と思い返していました。うれしさというのは一瞬でしたね」

 どうしても、考えてしまうのは次のこと。本当の夢である「3連覇」に向けての通過点だと考えている。

負けるまでに変わらないのは嫌
常に勝ち続ける選手でいたいから



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