2026.8 KENDOJIDAI
撮影=笹井タカマサ
いまなお世代のトップランナーとして走り続ける鍋山教士。幾多の激戦を乗り越え、ついに全日本選抜剣道八段優勝大会を制した。競技者として頂点を追い求めながら、指導者としても多くの剣士を日本一に導く存在。その強さは、どこから生まれるのかー。
鍋山隆弘

北海道インターハイ以来
39年ぶりの個人タイトル
既報の通り第24回全日本選抜剣道八段優勝大会は茨城県代表、筑波大学准教授の鍋山隆弘教士が初優勝を果たした。教員勢の優勝は4人目(山中茂樹・谷勝彦・栄花英幸)、大学所属の教員では初の快挙だ。
「筑波大学卒業の先輩では谷勝彦範士が本大会で初めて頂点に立たれ、前身となる明治村剣道大会では岡憲次郎範士(元国際武道大学学長)が優勝されています。個人戦のタイトルは高校3年のインターハイ以来ですので、純粋に嬉しいです」
鍋山教士が剣道界に鮮烈なデビューを飾ったのは昭和61年度玉竜旗剣道大会(1986年)と言っていいだろう。2年生ながら強豪PL学園の大将をつとめ、阿蘇との決勝戦を大逆転で制し、遠来組として2度目の玉竜旗を手にした。いまでこそ九州勢以外で玉竜旗を手にする高校が増えたが、当時、関門海峡を越えて玉竜旗を手にしていたのはPL学園のみだった。翌年の北海道開催のインターハイでは超高校級の鍋山教士は注目の的となり、大きなプレッシャーのなか、見事、個人・団体優勝を果たした。
「予選リーグから注目していただき、期待されていることは高校生ながら理解していました。結果として個人・団体戦で優勝することができ、その後の剣道人生が広がったように感じています」
鍋山教士はPL学園卒業後、筑波大学に進み、大学院修了後、母校筑波大学の教員となる。世界剣道選手権大会出場2回、全日本剣道選手権大会出場10回など、常に世代をけん引する活躍を続けている。八段取得後は地元茨城国体優勝、全国教職員大会団体優勝など活躍を続け、令和8年度玉竜旗高校剣道大会では、大会スペシャルアンバサダーを委嘱された。
「私の剣道人生に大きな影響を与えてくれた玉竜旗を応援できることは、大変光栄です。玉竜旗が世界からも注目される大会となるよう、その認知度をさらに高めていきたいと考えています」
八段戦は有効打突7本
早い仕かけで勝ち切る
八段戦に初出場したのは令和3年、第19回大会のときだった。決勝戦まで勝ち進み、北海道の教員栄花英幸教士(現範士)に敗れるも、準優勝に輝いた。
「前年度の八段戦がコロナで中止になり、1年間、ほとんど稽古ができない状況での試合でした。膝の故障もあり、蹲踞もままならず辞退することも考えていましたが、11月から延期されて3月に開催された全日本選手権大会で現役生、卒業生たちが活躍したこと(優勝・松﨑賢士郎選手、準優勝・村上雷多選手、3位・星子啓太選手、林田匡平選手)に刺激を受け、出場を決意しました」
これまで八段戦は3回出場して準優勝、3位、ベスト8とコンスタントに成績を残している。ここ数年、八段戦はどの選手も5回出場を機に、選出から外れている。頂点をめざすために与えられたチャンスはあと2回だった。
「小学校2年から剣道を始めて、試合中心の剣道人生を送ってきました。全日本選手権に区切りをつけてからは個人戦に出る機会は激減し、いつしか個人戦はこの八段戦が最後となり、自然と悔いを残さないような試合をしたいと考えるようになりました」
迎えた第24回大会、1回戦は馬場健治教士(岡山)と対戦した。
「今回は粘って試合をするのではなく、試合時間の5分で決着させるつもりで臨みました。膝も完治したわけではなかったので、無理に打突するとケガにもつながりますので、いま自分の持っているものをすべて出し切ることを考えていました。1回戦、延長戦で馬場先生に出ばな面を打つことができましたが、途中、面を読まれて胴を打たれました。八段の先生方の読みの精度は高いので、不用意に打つことはできないと気が引き締まりました」
2回戦は岩切公治教士(千葉)、3回戦は堤幸司教士(大分)を破ってベスト8に進んだ。身体が自然に反応した。
「今回は〝出ばなを狙う〟ということにテーマを絞り、勝負しようと考えていました。出ばな技は気持ちが引いていては待って打つことになり、成功しません。圧力をかけながら相手を引き出すのが出ばな技の絶対条件であり、そのことは学生にも話しています」
続きを読む: 全日本選抜剣道八段優勝大会 優勝インタビュー(鍋山隆弘)
岩切教士には得意の出ばな面、堤教士には小手2本で勝ち切ることができた。
「堤先生に打った小手は身体が自然に反応しました。後日、映像を確認しましたが、後退した局面でも重心バランスが整っており、機会を誘っているようなさばき方でした。気持ちが充実しているときは、迷いなく技が出せるのかもしれません」
準決勝は同学年の警視庁剣道副主席師範の寺地四幸教士(東京)と対戦、開始1分40秒過ぎ、交刃の間合から長身を生かして跳び込み面を決めた。鍋山教士のもっとも得意とする技だ。
「剣先を交えて探っていくなかで、膝の違和感がなくなってきている感覚があり、『面で勝負する』と決めて放った技でした。序盤は膝の痛みが気になったのですが、試合を重ねるごとにアドレナリンが分泌されていたのか、後半は痛みを感じることがなくなりました。八段戦は全国から選ばれた先生方が出場されるので、気持ちで負けたら、即敗戦につながります。『腹をくくる』という慣用句がありますが、それを意識するようになりました」
そして迎えた決勝戦、相手は警視庁主席師範の平尾泰教士(東京)だった。PL学園高校時代の2級上の先輩だ。
「平尾先生は私がPL学園に入学した時の3年生です。平尾先生が主軸で、国体や玉竜旗に一緒に出場させていただいたこともあります。公式戦で試合をするのは初めてでした。ありきたりですが、大先輩にお願いする気持ちで臨みました」
試合は序盤、鍋山教士の鋭い小手が決まり、会場を沸かせた。さらにまもなく3分になろうとするところで、強烈な面を決めた。
「平尾先生の攻めは強烈なので『絶対に引かない』という気持ちを大事にしました。決まった小手は狙ったのではなく、身体が自然に反応しました。最後に決めた面は、読まれていたら返されるという気持ち振り払い、腹をくくって打ち切ることができました」
終礼を終え、礼を交わしたあと、鍋山教士は優勝を噛みしめた。全5試合で決めた有効打突は7本、延長戦にもつれたのは1回戦のみだった。
「めざしていた優勝を手にすることはできましたが、反則を3回も犯すなど、反省するところが大いにありました。八段戦は一撃で仕留めるというイメージがありましたが、そこにも到達していません。さらに稽古を重ねなければならないと決意を新たにした次第です」
筑波大学剣道部 男子監督25年
剣道未経験者の勧誘にも努めたい
筑波大学大学院修士課程修了後、文部技官となり、筑波大学の指導陣に加わった。平成14年(2002)に男子剣道部監督就任、内田勝之選手(現磐田東高校教員)、亀井隼人選手(現神奈川県警察)らを擁して全日本学生剣道優勝大会で優勝を飾った。本年で監督就任から24年目となる。
「監督となった当初は教えたいという気持ちが強すぎました。自分が考えていること、思っていることを精一杯指導することに努めていたのですが、それだけでは学生は伸びません。教えるという気持ちはもちろん大事なのですが、学生の考えを支援、サポートするという感覚を大事にするようになりました」
全日本学生剣道優勝大会で日本一を手にしたのは6回。卒業生の活躍もめざましい。第1回アジア・オセアニア剣道選手権大会には、主将の竹ノ内佑也選手(警視庁)をはじめ、星子啓太選手(警視庁)、松﨑賢士郎選手(筑波大学教員)、大平翔士選手(警視庁)の4人の卒業生が日本代表に選ばれた。
「竹ノ内選手が大学3年で全日本選手権を制して以降、常に日本代表に筑波大学卒業生が入るようになりました。私も刺激を受けています」
指導者の養成、剣道界をけん引するトップ選手の強化・育成に加え、今後は剣道人口拡大にも積極的にかかわっていきたいと考えている。
「ありがたいことに筑波大学剣道部は毎年、優秀な学生が入学を希望してくれています。男女ともに常に日本一をめざして取り組んでいますが、年々、親が剣道経験者である割合が増えています。二世、三世が活躍することは喜ばしいことではありますが、一方で剣道未経験者やその親が剣道をするような仕組みをつくらないと人口は先細りになってしまうと危惧しています」
まずは剣道未経験者やその保護者が、剣道に触れる機会を増やしたいと考えている。
「私は剣道で育ててもらった一人です。剣道に恩返しというとおこがましいですが、剣道人口拡大策は〝自分事〟として真剣に取り組む必要があると考えています」





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