※この記事は『剣道時代 2017年9月号』に掲載されたものです。
高校剣道の歴史を紐解いてみても、あの出来事はまさに〝空前絶後〟と言っていいだろう。創部1年目、1年生チームによるインターハイ出場。快挙を成し遂げた明豊高校を率いているのは、かつて日田高校を日本一に導いた名将・岩本貴光監督である。
「明豊高校には剣道を学ぶ最高の環境がそろっています。今いる子どもたちはその環境に感謝をして、長きに渡る伝統の礎をつくってもらいたい」。わずか数ヶ月で部員を全国区にまで引き上げた、岩本指導法の核心に迫る―。
創部1年目の快挙
つねに一番を目指して稽古に励む
昨年の6月上旬、その驚きは瞬く間に高校剣道界を駆け巡った。
「とんでもないことをしてしまったな、というのが正直な気持ちです」
電話口の先でそう語った岩本貴光監督(現在は総監督)の声色から、その表情に苦笑が浮かんでいたことがすぐ分かった。夏のインターハイへの出場権をかけた大分県予選。優勝を飾ったのは「明豊」という、正直聞いたこともない高校名だった。それもそのはず、明豊高校剣道部は創部1年目、予選の数ヶ月前に立ち上げられたばかりだったからだ。
なぜ、どうやって、創部1年目の剣道部がインターハイに。その答えの鍵を握るのが、指揮を執る岩本監督である。平成20年、埼玉県で行なわれたインターハイにおいて、大分県代表の日田高校は全国優勝を成し遂げた。同県勢としては、48年前の国東安岐高校以来となる快挙だった。この年は、大分県において国体が開催される年でもあった。当然、国体に向けた強化は何年にもわたって施されていたが、それでも、日田高校の優勝を予想する人は少なかったと言っていい。当時のことを岩本監督は次のように振り返る。
「あの世代は、決して素質のある子ばかりが集まったわけではありませんでした。稽古では〝自分たちは弱い〟ということを認識させた上で、じゃあどうやって日本一になるかを考えさせました。やるからには一番を目指すというのが私のモットー。目標が低ければ成果をなし得ることはできません。自分自身を律して剣道を頑張っていくと決めたならば、必ず一番を目指す。過程のなかでは当然負けることもありますが、その反省を次の試合に活かすことが大切です。地道に、そして前向きに日々の稽古に取り組んできた結果が、最高のかたちで実を結びました」
生涯、日田高校で教職をまっとうしようと考えていた岩本監督だったが、翌年、県内屈指の進学校である大分舞鶴高校への異動が決まる。日田高校の剣道部員たちは部活動中心の高校生活を送っていたが、大分舞鶴高校ではそうはいかない。
またイチから剣道部をつくり上げていくことになったわけだが、指導の根幹がぶれることはなかった。
「君たちは勉強を頑張ってこの学校に入ってきたのだから、勉強中心の高校生活を送ってもらって構わない。ただし、剣道部に所属するのであれば、一番を目指して頑張っていこう」
岩本監督は大分舞鶴の生徒たちにこう告げたという。ここで言う〝一番〟というのは、当然〝日本一〟のことである。
無理は承知の上、しかし、与えられた環境のなかで一番を目指していくことこそ、人間的な成長をうながす上でも大事なことだという信念が、岩本監督にはあった。
赴任当初は自身の考えと、生徒、保護者の間に溝があったというが、徐々にその溝も埋まり、日田高校では3年かかったインターハイ出場を、大分舞鶴ではわずか2年で達成した。
ここで一つ重要なのは、岩本監督が生徒の努力のみに成長を任せなかったことである。自身も監督として、これまで以上に成長が必要だと感じた。どうすればもっと力をつけさせてあげられるのか。考え抜いた末に出た一つの答えが、現在の岩本指導法の核となっている「至短稽古」の理論である。
「剣道を頑張りたいけれど、どうしても満足に稽古の時間が取れない。これは高校剣道に限らず、多くの剣道愛好家が抱えている悩みだと思います。どのように稽古に取り組めば、より効率が上がり、満足感が得られるか。大分舞鶴に赴任した当初は、このことばかり考えていました。私の場合はありがたいことに、これまでの経験から全国の強豪校にパイプがありました。全国の強豪校に足を運び、稽古を分析して、自分なりの稽古法をつくり上げていきました」
「至短稽古」のポイントはいくつかあるが、一番大事になるのは「集中力」だと岩本監督は言う。限られた時間のなかで、どれだけ一つひとつの稽古に集中できるか。いくら潤沢に稽古時間を確保できても、集中できていなければ実じつは上がらない。元立ちも掛かり手も集中力を途切らさず、合気になって稽古を行なうことで、稽古時間は短くても思うような成果が得られることに気づいた。
「3時間の気の抜けた稽古よりも、1時間の集中した稽古。部員の意識を高いところまで持っていくことができれば、必ず結果はついてくることを実感しました」
岩本監督が率いた大分舞鶴高校は、3年連続でインターハイ出場を決めた。この結果が「至短稽古」から生まれたであろうことは、想像に難くない。
「強くならない方がおかしい」
稀有な経験を糧にさらなる飛躍を
「自分なりに葛藤はありましたが、指導の現場を高校から大学へと移すことにしました。今度は大学生と一緒に日本一を目指そう、そう考えて別府大学にお世話になることを決めたのですが、結果、ふたたび高校剣道に携わることになりました」
平成25年、岩本監督は高校教員を辞し、別府大学の職員となった。「剣道指導者として、もっと視野を広げていきたい」という欲求からだった。別府大学剣道部を率いて数年、九州でも指折りの実力を同剣道部が備えたところで、その時は突然訪れた。
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