剣道の技

崩しの極意(矢吹裕二)

2026年8月17日

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2026.8 KENDOJIDAI

取材=栁田直子

警視庁で剣道指導室教師をつとめる矢吹裕二教士は、「小野派一刀流十八代宗家」として研鑽を積みながら、竹刀剣道の稽古にも生かしてきた。「勝ってから打つ」ことが大事、と語る矢吹教士に、一刀流のエッセンスを盛り込んだ「上下の攻め」についてうかがった

矢吹裕二 教士八段

やぶき・ゆうじ/昭和45年福島県生まれ。県立平工業高を卒業後、会社員を経て警視庁に奉職。現在、警視庁剣道指導室教師、小野派一刀流十八代宗家。

 私自身、上下の攻めについてなかなか定まったものはなく、毎日試行錯誤をくり返し行なっています。日頃の稽古で意識していること、工夫していることをお話ししたいと思います。また、私は小野派一刀流を学んでいるので、今の自分の剣道に大きな影響を与えていると思います。一刀流のお話を交えながら、「上下の攻め」について考えてみたいと思います。

 私は27歳の時、本部特練員を解除され北沢警察署の助教になりました。自分自身の剣道を今後どう伸ばしていくか悩んでいたところ、思いがけず小野派一刀流宗家・笹森建美先生(第十七代宗家・平成29年没)との出会いがありました。

 それまでの私の剣道は、目に見える現象のみ、例えば、中心を取るにしても竹刀を動かすことのみを重視し、そのやり取りにある心理的要素などには思いが至っておりませんでした。「目に見えない現象が大事だ」ということを教えて下さったのが、笹森先生でした。

 互いに先の気をもって攻め、まさに打突の好機が訪れる時、相手が打ちかかろうとする(まだ動作が発せられない)ところを打つのが先々の先だということを教わりました(たまたま相手が面に来れば切落しになるでしょう)。このことを教わってから、一刀流の稽古にのめり込むようになりました。

 小野派一刀流は室町時代に伊藤一刀斎によって創始され、その後小野忠明が継承し、代々徳川将軍家の剣術指南役となった流派のことです。江戸時代にはすでに現在につながる稽古の体系が整えられました。特色は、小野派一刀流の代名詞ともいわれる「切落し」です。

 一刀流には「勝ってから打て」という教えがあります。私は笹森先生から何度も教えられました。一足一刀の間合に入るまでがいかに大事か、ということを示していると思います。リスクを負ってでも打ち間に入るためには「勝って」いないといけません。遠間から一足一刀の間合までの攻め合い、もう少し細かく言えば触刃の間合から交刃の間合に攻める段階で切先により相手の正中線をとらえることが大切です。そのため、「勝ってから打つ」ためには上下の攻めの習得によりいかに正中線をとらえるかが重要的要素になります。

 では、正中線をとらえるために、もう少し言えば、具体的に「勝つ」状態をどうやってつくり出せばよいでしょうか。

 私なりの考えを申し上げますと、

1:先をかける

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 これは、気持ちも体も先をかけるということです。相手と対峙すると、まず心に湧く「駑、恐、惑、疑、臆、悔、驕」を自ずから切落し、相手に必死の覚悟と十分な気合で向かうことです。

2:先々の先で

 先をかける気持ちが整ったら、遠間から一足一刀の間合まで攻めを行ないます。この先は単に相手の竹刀を押さえるのではなく、相手の正中線を切先で攻め、相手に威圧を与えます。この正中線を攻める動作により、相手の動きが一瞬でも止まり、動けなくなります。一刀流ではこの攻め方を「先々の先(未発の先)」と呼んでいます。九歩の間合で対峙して遠間から一足一刀の間合へと近づく際、仕方(一刀流では仕太刀を仕方という)が中段でしたら喉や眉間を攻め、相手に威圧を与え、一瞬「突かれる」と思わせることが大切です。相手の構え、心理的状況によって攻める場所は変わります。

 具体的には、拳・へそ・みぞおち、喉、眉間、このいずれかに、自分の切先を向けることになります。相手への攻めがないと、間が抜ける(間抜け)になってしまいます。笹森先生からもよく注意された点でした。

切先を相手に向ける

​​ 私の場合、遠間から一足一刀の間合までのあいだで自身の切先をどこにつけるかを工夫しています。一刀流の教えを交えながら、私の攻めの工夫についてご紹介申し上げたいと思います。

 正中線の攻防の中で、互いに中心のみを取ることなく、拳を攻めるのか、へそ、みぞおちを攻めるのか、眉間を攻めるのかにより、切先の方向が上下に変化します。

1・剣先を相手の拳、またはへそにつける

 相手の右拳を切先で攻めると、自然と相手は右拳かばう仕草をみせます。その際に中心に隙ができるので、その動きに乗じて中心を奪います。これは小野派一刀流組太刀(小野派一刀流では形のことを組太刀という)にある下段からの攻め方の応用です。

2・剣先をみぞおち、喉につける

 双方が中段の場合には同格となるので、単に竹刀を合わせると相手の方が優位に働く場合があります。竹刀に鎬があるように意識して鎬で相手の剣先を「削ぐ」ようにつけます。

3・剣先を眉間につける

 相手の中段に対し少し高めの構えとなりますが、一刀流では中段より有利な中正眼、大正眼という構えとなり、相手が不利ととらえ逆に剣先をつけて来る場合が多いです。

 剣先での攻防についてですが、相互の切先のつけ方について、相手に中心を奪われるとあわてて押し返したくなります。ですので、その場面は、小野派一刀流の切先の遣い方を応用しています。

 拳・へそ・みぞおち、喉、眉間は、人間の急所にあたります。急所は、「攻められたら、無意識にかばう動作が入る」と言われています。よっていかに相手に意識をさせるかが攻めにつながります。一刀流ではこれらの攻めを大切にしていますが、当然、竹刀剣道にも通じることで、常に意識をしています。

 この時の切先の付け方についてですが、ただ相手の剣先を押さえるのではなく、半円を描くように切先の鎬で相手の切先を削ぐように回転させると、ちょうど相手の中心に向かうことができます。相手から押さえられても、裏に剣先を回されても、この動きを意識すれば中心が取りやすくなります。ですから、よく竹刀剣道でも「鎬を意識しなさい」と言われると思います。このやり方は一刀流では「まんじ(〇の中に十。さるまんじという)」とも言っています。「まんじ」とは、相手の太刀を切落しても、受けて返しても、自己の刀は相手の中心に無意識に向かうという使い方で一刀流の極意でもあります。

 一刀流には170もの形(組太刀)があります。研究する上で新しい発見はたくさんあります。学んでいる本人の年齢や熟練度で段々と変化するからです。また一刀流では形を稽古することを「技を編む」と表現します。これは打方、仕方で精一杯組太刀を稽古して今の二人にしか出来ないものを作り上げなさいとの教えによるものです。

 170もの組太刀を無意識にできるようになるまで意識的に反復練習していると、いざ、本番でも練習していた技が自然と出せるようになります。意識的に鍛えて無意識の技を出す、それが一刀流の集大成であると考えています。伝承として、形だけで残すのではなく、試合や稽古の場面(実戦)で体現できるように行ないます。

上下の攻めと打突

 切り落としは一刀流の代名詞と言われます。

 相手が出てきたところに対して打つ際、横にずれるか、すぐ摺り上げるか、ちょっと相手の剣先を反らして落とすとか、といった対処をしてしまいがちですが、これらはすべて「二拍子」になってしまいます。

 一刀流では「一拍子、相打ちの勝」が大切とよくいわれます。一本を決める際は本来一拍子で行なわなくてはいけません。

 お互いが先で攻めた時、相手が先々の先で向かおうとしたその瞬間、切り落とすことになります。剣道で面を打つ時と同じく、顎まで切る意識が大切だといわれています。相手が打ってこなかったらそのまま仕掛けて面、相手が面に跳んできたら相面になります。相面の場合は、こちらがすでに竹刀を振っている分、相面でも先に到達することができます。相手の動き方によって、仕掛け技になるか、出ばな技になるかが決まります。

 理想は、相手がやってきた瞬間にパパッと切り落とすことです。横にさばかず、出頭的な面を打つことになりますが、一拍子で切り落とすのが理想です。

 一刀流は全部後から技を出しますので、現象だけでいえば「後の先」の技になりますが、しかし、その前に気持ちなどで先の先に対し先をかけているので先々の先の技になります。

 また、一刀流は突きでも有名です。開祖の伊藤一刀斎、二代目の小野次郎右衛門も突きの名手でした。まんじを遣いながら、眉間を攻めておいて一気に突きます。

 古流の斬り方というのは、鎧や兜がある前提でのお話になります。梨割り、竹割りという言葉がある通りです。鎧から見えている隙間を狙うので、「掛切り」ともいわれますが、「軽く斬りなさい」とよく言われました。ですから、古流を学ぶ中で、現代剣道の打ち方に段々近づいていく側面があります。同じ一刀流の北辰一刀流では打ち方はより小さくなり、現代剣道に近くなります。現代剣道の源流といわれる所以です。

 古流は現代剣道に通じる教えが詰まっています。私自身未熟の身ですが、今後も小野派一刀流の伝承、そして現代剣道の研鑽に精進、尽力してまいりたいと思います。

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